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2003-09-17

七夕の宴
  
(7月7日(日)ビックアィ研修室)

 


みんなから愛された・植田久美さんが、私たちより一足早く、生まれ来た道を帰って行ったのが5月17日。

ビックアイで春の宴と称し、仲間達と宿泊し楽しい一夜を過ごしたのは3月21日のことでした。

既に足のリンパ腺に浮腫が現れ、歩行困難状態となっていました。仲間たちの前で車椅子姿になることをこだわり続け、この日の朝、参加を諦めると連絡が・・・・・

電話で何度も話しました・・・・・ 車椅子を準備して駐車場で待っているから、おいでねと。

彼女は来ました。久し振りに会った友人たちと笑顔で挨拶をするku。みんなで準備した食事を美味しそうに食べてくれました。車椅子で来たkuが、途中からは支えられながらも自力で歩けるようになっていきました。

kuの明るい笑顔とおかあちゃんと寄りそう姿が、友人たちに見せた最後の記憶。5月11日ビックアイで開催される「ハンマダン」での再会は残念ながらかなえることができませんでしたが、この企画の成功を誰よりも祈っていたのがkuでした。

(写真撮影協力  mosukeさん)

 
七夕の笹には、参加者が書いた短冊が結ばれています。 短冊に包まれて、1月ソウル・インサドンで撮影されたkuの 笑顔。1月末、ソウル訪問のサポ−ト以来、親身になってkuに 寄り添ってくれたカンヨンミさんから韓国訪問時の話題が 披露されました。  
  
  
ご主人史郎さんから、皆様へお礼のご挨拶がされ、 その後、kuが出来なかったおかあちゃんの喜寿のお祝いへと七夕の宴は進んでいきます。 6月17日が誕生のおかあちゃんにお年はいくつ?と お聞きした司会の聖子さんに返ってきたこたえは・・・  「いくつになっても、女ですから・・・と」
 

 喜寿のプレゼント
最愛の娘との別れの中で、懸命に明るい笑顔を振りまかれるおかあちゃん・・・・・

七夕の宴に集まった仲間達が、極秘裏に喜寿の お祝いの準備をしました。そのひとつが、韓国からチャ牧師様をお迎えすることでした。 照明を落とした中で、チャ牧師様に入場して頂き、 おかあちゃんと感激の対面。 。
 

 
フィリピンの友人たちとの出会い。そして、韓国への想いを胸に・・・・・ 残されたわたし達はしっかりと受け止めます!

東京在中フィリピン人バンド「ラヒン・カュマンギ」 からkuを追悼するメッセージと供に追悼演奏場面が 記録されたビデオテープが届けられました。 大きな画面から届けられる彼らからのメッセージ・・・・・ 小学生の頃に、在日のお友達と楽しく過ごした話しを聞かせてくれたku。そして、辛い食事が大好きだったku・・・・

手術が終わったらご褒美に韓国に行こう! 韓国の次はフィリピンに行こう! ・・・・ 病の中で、アジアの友人達を思い浮かべ頑張ったku・・・ 「いかなる時にも笑顔で・・・ 心を平和に持つように・・・」と励ましつづけて下さったチャ牧師様の「アリラン」の唄が 会場に響き渡りました。ハングル講座の金さんのチャンゴ の伴奏とともに悲しくも力強い「アリラン」・・・・・・
 

チャンゴの響き
ハングル講座の金さん親子のチャンゴ演奏 子供達が興味ありげに近くに寄ってきました。
  
七夕の宴の朝に咲いた「蓮の花」。 七夕の宴にご協力頂いた皆様へ感謝の言葉を述べる大母。 バックの画面は、この朝、初めて開花した「蓮の花」 kuの闘病中そしてそれから・・・・・  言葉では表現できない不思議なことがたくさん・・・  この「蓮の花」の開花もそのひとつ
 
七夕の宴に集った仲間たち 世代を超えて・・・・・愛された証
長崎・馬渡孝浩君はメールでメッセージを 発信してきました。退院療養中の3月、夜行 バスに乗ってkuのお見舞いに来てくれたね・・
  
お料理大好き委員会の仲間  自宅療養中もfaxでメニュー提案をしていたku
  

水分補給が禁じられている中で、 「中井さんのお茶を飲むの・・・」と楽しみに していたku。術後1週間後、病室で一緒に頂いた 中井さんのお茶の味・・・忘れることはないでしょう。

クララの娘・なおちゃんが仕事を終えて来てくれました。

おはぎおかあちやんと大母

私達はしっかりと支えあって生きていきます。ku 見守っていてくださいね。


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