2002.5.2
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ふ る さ と の 春
    
2012年4月4日〜9日 福岡にて
    

   

さくらだよりが北進する4月4日、福岡城(舞鶴公園)東口まで数分の実家へ里帰りしてきました。

挨拶に来てくれた甥のお嫁さんから 「福岡城のライトアップがきれいかですよ。行ってこられんですか」 とすすめられ、「あれ? 福岡城?」 彼女の目線が馴染みの 「城跡」 に向けられているところからすると 「福岡城」 が統一した名称になったのでしょうね。

娘時代、「城跡」 或いは 「舞鶴城」 の名で親しんでいたのですが、最近の地元発信イベントでは下記のポスターの様に 「福岡城」 と統一した名称になっているようです。地元のNPO主催で開催され始めて数年目だそうです。
   


馴染みのうどん屋 「琴平」 で腹ごしらえ。
博多のうどんは柔らかめ。
さぬきうどん風の店名ですが、博多風のうどんです。
 
九州ならではの味・ごぼう天うどん
  
店内から桜見物
  
   
5日夕方、デイサービスに両親を迎えに行き、そのまま先祖のお墓参りへ。途中で旬の野菜を買い求めたりしながら、兄の家族達と待ち合わせの馴染みのうどん屋さん 「琴平」 へ向かいます。

予定では、目の前の中央区センター(元赤坂小学校)に出前をしてもらい、母校の夜桜を観ながらうどんを頂くことにしていたのですが、店に到着した頃からぽつぽつと雨が降り出し、店内からの桜観となりましたが、帰る頃には雨も上がり、せっかくなのでライトアップの会場まで出掛けることになりました。
   
東入口から平和台球場跡を取り抜けて…… 現在、遺跡発掘中
    
新・旧の屋台がいろいろ。両親は綿菓子を口にし、子供の様に喜んでおりました。
    


7日、デイサービスに出掛ける両親を見送り、そのまま大父と再び福岡城へ。

赤坂門側から福岡城へ入ってみました。正面に福岡タワーが望めます。
 
後ろには福岡高等裁判所があり、数年後には九大跡地(六本松)に移転予定だそうな。
   

    
城内には市内の小学生による東北大震災への応援メッセージが灯籠に描かれています
     

    
城内には例年12月に開催される 「福岡国際マラソン」 のスタート地点でもあり、ゴール地点の場でもある 「平和台陸上競技場」 やテニス場、サッカーやラクビーが楽しめるグランド、そして今は福岡ドームへ移転していますが、長年市民に親しまれた平和台球場があり、気軽に市民が集うエリアです。
   

   
観光ボランティアの方々が随所におられ、重要文化財の内部が特別見学できました。

    
城内に47あった櫓(やぐら)で唯一保存されている多聞櫓。内部は16区画になっており、常時は倉庫として使用され、戦時にはこの四角に開けられた窓から石が落とされたとか。
     


   
場内には千本の桜があるそうな
    

左手の土手は福岡高等裁判所の裏出口、右側は中央区センター(元・赤坂小学校)
桜にも寿命があります。治療中の古木の近くには若木の植林が行われていました。
 

    
父は大正5年生まれの96歳。母は昭和2年生まれの85歳。5年前にくも膜下で倒れた母でしたが、リハビリに励みましたが水頭症を併発。その後、最新の手術の効果で水頭症による仮性認知も解消。父は母の療養中に心筋梗塞で倒れましたが、同じリハビリ病院で励まし合いながら頑張ってきたお陰で週3回デイサービスに通い、家事は訪問ヘルパーさんや身近な親族達のサポートで毎晩の晩酌を楽しみに、穏やかに暮らしてくれています。

今回の里帰りは桜の開花に合わせることができ、7日には再び大父と二人でデイサービスに迎えに行き、自宅まで約3キロの道を大濠公園を抜け、NHK福岡放送局でカフェで休憩、けやき通りのバス亭で休憩しながら帰ってきました。母はず〜と話し続けておりました。
   

    
母曰く、「小さい頃、城跡は桜でなく、椿が沢山あったとよ」 だそうで、改めて散策した道の一角を眺め直すと、樹の周りが1メートル近くの椿の木があります。椿の開花よりも桜の開花のほうがイベントになりやすいのでしょうね。最後に椿の花の紹介で福岡の春便りは終了!!
    




 
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