大母のレシピ
すぐれもの
  孫の写真
 
 
 


  

2007.3.9~3.18



離乳食  投稿者:大母  投稿日: 3月10日(土)11時05分50秒

今日は午後から、和歌山県海南市下津町で「協同の家」20周年記念企画が開催されます。

既に先発チームは出発し、午後からの準備とお楽しみ企画練習をされているようです。

大母は企画に間に合うように、堺を出発する予定です。
  
その前に、komaki に離乳食を食べさせねばなりません。

かぼちゃ粥とイチゴ。

一日2回食になり、大人が食事を始めると表情が変わります。

今朝も、すり鉢で混ぜていると……

寝返りをしながら近寄ってきます。
    


桜咲く! おめでと~  投稿者:大母  投稿日: 3月11日(日)09時13分35秒

昨日、「協同の家」企画をリアルタイムでお届けしようと張り切ってS理事の後部座席にドッカと座り、やおら携帯電話に手をやると……

無い??

充電完了させ、バッグに入れようとパソコンの横に置き、メールチェックをしたのがまずかった~。

時計と睨めっこしたとたんに、携帯電話の存在を忘れたんやね。

という事でして、残念でした。

帰宅し、携帯電話を開くと……
友人からお嬢さんの「桜 咲く!」の連絡が届いていました。

良かったね~
おめでとさん!

我が家の大輪白椿の映像をお祝いに登場させますよ~
  

祝いの花  投稿者:大母  投稿日: 3月11日(日)09時25分43秒

「協同の家」20周年企画を祝う花

斑入り椿とクリスマスローズ

梶本美都子さんが飾ってくださいましたね。


協同の家 20周年記念ライブ

実行委員長たけやんさんの挨拶で始まり~

20年前と言えば、泉北エリアから南河内エリアに引越して3年目。わずかに点在する組合員を頼りに、新しい地域活動を模索。

当時の総代会方針であった地域にストックポイント(拠点)を創り出そうに手を挙げ、「さつき野ストックポイント」オープンを1986年10月10日に成し遂げたばかりのときでした。

「協同の家」竣工は同じ年度の11月23日。理事になったのが翌年1987年やね。

「協同の家」は、地域活動の節目を共に進んできた同志的な思いの場所。

………

楽しくというのが昨日の狙いどころ?

ボランティア「さくらんぼ」さんの「まつけんサンバ」で参加者の緊張がほぐれましたね。

33年前、泉北生協時代に始まった産直みかんの物語が写真と寸劇で紹介されました。

33年前の3生産者
前山さんご夫妻、梶本さんご夫妻、宮本さんご夫妻

寸劇は3人の仕事を引き継がれた3人のご子息とS理事、O理事で演じられました。
  


吉本新喜劇並みやったね~

1968年に和歌山県海草郡下津町大窪のミカン園で悲惨中毒事故が発生。

当時高校生であった松本悟さんが、両親とニッソールという殺虫剤をミカン園で散布したあとその農薬による急性中毒になり、治療もむなしく3日後に亡くなるという事故が発生。

見かけ重視、そのためには農薬散布は極当たり前の作業だった当時の農業。
  
同じ町で起こった事故を機に、強く疑問を持った下津の青年3人。

トラックにみかんを満載し、開発間もない泉北ニュータウンで引き売りを始めていきます。

幼稚園の運動会を終え、帰宅途中だった組合員Sさん達。
  
みかん引き売りトラックの前を通りかかり、そこで始まった会話。

軽妙な大阪弁のS理事、一歩テンポがずれるO理事の突っ込みに和歌山弁で返していく3人の生産者……


33年前を演じるせがれたち…

3人の生産者のせがれ達が演じる33年前の「親父」。

心配そうに、でも…嬉しそうにご覧になっていた「親父、お袋達」やったね。

直撃インタビュー

寸劇が終わり、司会 bonamama さんが会場の皆さんに直撃インタビュー開始。

寸劇でも登場人物として扱われていたSさん。「職員に繋いだだけなんです…」と控えめに語ってくださいましたね。
  
年長の前山博邦さん
路上で引き売りし、ヤクザに脅された当時のこと

交流開始当時、阪和高速道路など無く往復6時間かけて交流。交流が広がる中で、宿泊施設建設の話題が具体化して行った当時のやりとりを披露されました。

梶本博司さん

息子達の寸劇から…
  
当時のことが思い出されてきたようです。

生協を訪問すると、男性ばかりで汚い建物。
(女性達が大半の現在とは大きく違いますね)

京都の料亭の息子だった職員Oさんは味に厳しかったが、みかんを評価してくれ、その後、みかんがよく売れた。

県庁で露天商の許可をとったことなど話してくれましたね。

  

宮本正一さん 「日本の農業を変えてきたなぁ~」

せがれ世代にバトンタッチされてから、組合員の前に登場されることが無かった宮本正一さんです。

ほんまに、久し振りやね~

言葉数が少ない宮本さんですが、30数年の有機栽培みかん作りを振り返り「日本の農業を変えてきたなぁ~」と回想されましたよ。

豊共園のみかんは、生産者の思いを食べて支え、交流で支えてきた大勢の組合員の宝物や。

昨年12月8日に成立した「有機農業推進法」。

30数年にわたって有機農業にこだわってきた生産者と消費者を、国や地方自治体が評価してくれたということやね~


聞き入るせがれ達

親父達が語る産直物語 真剣な表情で聞き入っていたせがれ達でしたね。


20周年記念ライブ

20周年企画に向けて結成されたグループ「by CocoーKara」

先日、韓国原州の皆様の前で演奏したのが初デビューでしたね。

戦争の無い世界を

「by CocoーKara」のメンバーあゆるんさん

2001年9月11日ニューヨークテロが発生したとき、あゆるんさんは2番目のお子さんを身ごもっていましたね。

何か行動を起こさねばと、平和メッセージ集を作成しょうとの呼びかけに参加。完成した平和メッセージ集を胸に抱きしめ大母の前に現れましたね。

生協でも何かできないでしょうか?

あなたの声をきっかけに開催したのが、アフガニスタンで何が起こっているの学習会でしたね。

6月にはご主人の勤務地京都への転居が決まっているあゆるんさん。

「by CocoーKara」のメンバーとして、堺と京都で…活躍してくださいな。

http://daichinohaha.sakura.ne.jp/k-020407.html


下津山歌

楽風師匠がお祝いに、お得意の喉を披露してくれはりましたよ。


どんぱん節

デイサービス「金剛よりあい」のスタッフとして活躍中の momomama とマダム kiyoko。

どんぱん節の替え歌で踊るのが、お年寄り達に大人気だそうな。
  
参加者全員でどんぱん節を踊りましたよ。

歌詞が書かれた紙を支えてくれていたのが、司会の bonamam さん。


そ~れ

どんどんぱんぱん
どんぱんぱんぱん
どんどんぱんぱん
どんぱんぱんぱん

歌詞……忘れた~

うちの親父ははげあたま
隣の親父もはげあたま
はげとはげとがけんかして
  どちらもけがねぇ(毛が無ぇ=怪我無ぇ)でよかったね


再びライブ

mosuke さんのお連れ合いが加わり、再びライブです。あゆるんさんのお子さんも参加?


私の子どもたちへ

この日の為に準備された歌詞集には、8曲の歌詞が書かれています。

その中の一曲 「私の子どもたちへ」

作詞作曲は、高石ともやさん

泉北桃山台西原公園で開催した生協祭のゲストとして高石ともやさんをお迎えした際、会場で歌唱指導してくれた曲です。

25年か26年前でしたかね…

当時の事が懐かしく思い出されてきます。


宮本義史さん

どないすんねん

どうする

和歌山弁で
どうすらぁ

親父から引き継いだみかん山。
生協との話し合い、3人の生産者での話し合い

どうすらぁ……

せがれ達は、次世代3人で夢を語り、相談する関係を大切にしてはります。

なにか起これば、まず…どうすらぁ…


梶本元文さん

みかん仕事のことを家族の前で話すこと無かったご両親。

そのご両親が、「協同の家」の設計図を台所に貼りっていたのを覚えている。

高校生だった元文さんが、初めて見たみかん仕事と生協の関係だったようですね。


前山博邦さんと敏浩さん

みかん専業の農家になり3年目の敏浩さん。

敏裕さんのご両親と前山博邦、弘枝さんご夫妻が山仕事を手伝われ、新就農の敏浩さん夫婦を支えられています。

二人で並ばれた姿は、ほんまもんの親父とせがれやね。


寄せ書き

記念の寄せ書き

マダムkiyokoさんが持参された懐かしい映像も寄せ書きに貼り付けて……


記念撮影

一陣、二陣、三陣…と協同の家を出入りする参加者。

記念撮影してないなぁ~と誰からと無く言い出したのですが、既に一陣は帰った後やったね。


  

熱気で開いてきた花びら

次は30周年企画や。
  
その前に銀婚式の25年企画やらなぁ!

心がこもった20周年企画を終え、新たな気持ちで「協同の家」の活用法を考えないけませんね。

皆さんでアイデアを出し合い、手作りの記念企画であったことが伝わりましたでしょうか。


      


  
 
Copyright 2001-2007, Allrights Reserved. 「大地の母」事務局 大阪府堺市 E-mail daihaha@kyp.biglobe.ne.jp