大母のレシピ
商品研究
孫の写真
 
 
 


2005-08-16

西大門刑務所歴史館見学

2005年7月28日(木)午後
 


 


  
この日の日本語通訳ボランテァの男性は、2003年7月に見学した際の男性でした。大変厳しい方という印象は、今回も同じです。早足での見学となってしまうのは残念。

厳しさには理由があるはずです。たとえ厳しくとも、ボランティアとして日本人に接し、事実を伝えようとされている70歳半ばの韓国人の深い思いに、日本人としてどこまで思いを重ねることが出来るのかが問われているのでしょう。
  


死刑場入り口にある大樹
   

韓国の国花むくげの花
歴史館の庭で咲いていました。

   

説明を聞いていた桐田さんの表情が変わってきます。29歳の彼の体が震えるほど感じたこと……忘れないでください。
    

http://daichinohaha.sakura.ne.jp/albums/030707-kankoku-04.html

http://daichinohaha.sakura.ne.jp/albums/031116-kankoku-12.html

http://daichinohaha.sakura.ne.jp/albums/040826--06.html

http://daichinohaha.sakura.ne.jp/albums/041101-10.html
  


死刑場から遺体を運びだし、トンネルの奥深くに隠された説明を聞く桐田さん。
  


  
通路は、解体された建てものに使用されていたレンガです。「京城」の文字を読み取ることができます。

西大門刑務所は、1908年網走刑務所と同じ設計者による建物です。当初の名称は「京城監獄」、1912年には「西大門監獄」、1923年に「西大門刑務所」へ。

1945年日本からの独立後「ソウル刑務所」「ソウル教導所」「ソウル拘置所」と、1987年京畿道に移転するまで名称を変えながら刑務所は使用されています。

「西大門刑務所歴史館」として公開されたのは1998年からです。
  

  
1950年朝鮮戦争の際には、朝鮮人民軍によって捕らえられた南の人々が閉じ込められ、戦局の変化とともに歩いて北に連行されています。北に向かう途中で、北に必要な人材(学者、医者、技術者など)以外は殺害されています。

今年に入り、その時に父親達を連行された家族たちが、父親探しの運動を始めたとの報道を知りました。その運動のアピールスタートが、この西大門刑務所記念館の正面入り口でした。

1995年から公開されている西大門刑務所記念館。1世紀の間に、この場所で起こった事実を日本人としてまずは知ること。そして、その悲しみと怨みを今も持ち続けている朝鮮半島の人々が居ることを知らねばなりません。

その中から、新しい未来に向かって共に歴史を築いていこうとしている人々が、私たちとの交流を大切にしたいと希望されています。
  

正門前にて
  


1950年6月25日朝鮮戦争が開始され、1953年7月27日休戦ラインまでの主要局面
  



 
Copyright 2001-2004, Allrights Reserved. 「大地の母」事務局 大阪府堺市 E-mail daichi-no-haha@nifty.com