孫の写真
 
 
 


2004-07-01

2004.6.28~6.30

  


ヒント 投稿者:大母  投稿日: 6月28日(月)07時29分53秒

関係づくりと関係性

宿題にお悩みのあなたへのヒントですよ。


久し振りやねぇ~BU! 投稿者:大母  投稿日: 6月28日(月)18時45分42秒

自宅前から車を発進した途端、前方を走ってきた見慣れぬ車の中から誰かが手を振っています。

???

ワカラン!
どなた?

運転席の窓から登場した顔は、元理事のBU!
同じ街に住みながら、お互い出かけることが多く、不思議なくらい出会う事はありませんでした。

この春先、大母は車 お歩きのBU!と遭遇し、思わず大きな声で叫んでしまいました。

お~い BU!~と。

今朝、車窓からBU!の一言が返ってきました‥‥‥
もぉう~ 公道でBU!と呼ばんといてください、とすねた顔。

おぉ~
すねる顔は一昔前と同じやなぁ‥‥‥

このBU!なる人物の映像が、昨年からパワーポィントに登場している事を本人は一切知らない。

すれ違い際の一瞬の遭遇時に話すきっかけがないままに‥ 実は今日の理事研修時にも BU!の映像は登場している。

どやぁ!
文句あるなら、大母宅にお出でなさい!!


訃報 投稿者:コチュ  投稿日: 6月28日(月)19時10分49秒

きらり生産者である、宮崎太陽クラブ代表の大久津和弘さんがお亡くなりになりました。
6月28日14時25分 享年46歳

カタログでも現在、宮崎太陽クラブの特集を組み、表紙が今日、完成したばかりでした。
大久津さんからも先日、原稿をいただいたばかりです。
急きょ、入院されていたようですが、病名は急死といわれるだけで明らかにはされていません。

宮崎太陽クラブはきゅうり、なすびなどの軟弱野菜から、里芋など根菜類、デラウェアなどの果物などを幅広く栽培。カタログでも毎週、何かの企画が入っています。
宮崎県、小林市。霧島連山のふもとで、元々、酪農の盛んな地。

「牛糞に炭を使って消臭したことが有機農業をするきっかけになった」と言われる大久津さんが、農業高校を出た仲間に呼びかけてグループを結成し、今では60名ほどのグループになっています。

お通夜は明日。告別式は30日。企画開発部の高田が出席する予定です。

心よりご冥福をお祈りいたします。

 


残念です‥‥‥ 投稿者:大母  投稿日: 6月28日(月)19時37分45秒

そうですか‥‥‥‥大久津さんがお亡くなりになったのですね。

きらりになり、初めて出会った生産者グループ宮崎太陽クラブの存在に興味があり、機会があれば訪問してみたいと思っておりました。

突然死‥‥‥
高畠町・小林亮さんが次世代へと繋いでくれると信頼していた仲間の方が大久津さんと同じような世代で突然亡くなられ、体調を崩していかれた小林亮さんのことが思い出されます。

代表として仲間をリードされてきた存在の突然の死。
驚かれ、哀しみの中にいらっしやるであろう仲間の皆様を思うと居た溜まれませんね‥‥‥。

御冥福をお祈りいたします。


お会いせぬまま… 投稿者:パボマリオン  投稿日: 6月28日(月)22時32分25秒

今年度、 理事会・産直取扱品部会の訪問先のひとつに宮崎太陽クラブをがあります。秋以降の予定です。

私と同世代の生産者の方。お会いせぬままに。
残念です。60名のグループですか。
なんと言っていいか…。
先の時代をみて仲間づくりをして ともに走ってこられたことでしょう。

連合会きらりになって、エスコープにとって新しくこれからもともに歩む生産者グループのこと、知っていく途中です。

宮崎太陽クラブの情報を多くまだ知りえていませんが、今後の産直運動を引き続き進める関係のなかで、より深めていきたいと思います。大阪よりご冥福をお祈りいたします。

今日はエスコープ派遣の山形上和田訪問組・親子総勢9名がまほろば交流から戻ってきます。遠く離れていても!の関係を大切にしていきたいと思います。


ニワナナカマド

小花が泡立つように咲く「庭のナナカマド」。原産は中国で、日本の山野に分布せず、その名が。といってもナナカマドとは属が異なり、赤い実はつけない。円錐(えんすい)花序と茶色の乾果からホザキノナナカマドと同属に分類。区別は葉に毛がなく、雄しべが短く花弁とほぼ同長の点。日陰で育ち、株立つ。


悲しい知らせが続きます 投稿者:コチュ  投稿日: 6月29日(火)16時45分55秒

真南風(まはえ)代表の魚住けいさんが6月26日のお亡くなりになられました。
エスコープに先回、お見えになられたのは4年前だったでしょうか。

真南風という会社名を付けられた所以をお聞きしたときに、「沖縄では五穀豊穣をもたらす南風のことを『まふぇ』といいます。沖縄の生産者たちが、白保の乱開発や自然災害に負けず、常に南風が吹いてくれるように…と願っています」と言われたことを昨日のことのように思い出します。

体調を崩され入院されていたことはお聞きしていましたが…
また一人、大事な方を失ったことはとても残念です。

密葬は既に京都で済まされました。7月11日に沖縄・那覇で「魚住けいを送る会」を執り行われるようです。


あぁ~‥‥‥ 投稿者:大母  投稿日: 6月29日(火)17時33分28秒

中村尚司さんから闘病中だとのお話しは伺っておりました。
そして、覚悟もしていました。

でも、
無念です。
彼女が描いたやんばる地方の復興はまだ‥‥‥。

‥‥‥
石垣島でのシンポジウムに参加したのがご縁でした。
もう一昔前のことになります。

石垣で開催したシンポジウムは、彼女が描いた内容にはなりませんでした。
参加者と離れ、終了後一人で1泊留まった大母に民宿を手配して頂き、彼女の家族も泊まられました。
沖縄のカボチャ畑で(左)

 
その民宿とは、石垣島・白保の海岸の側でした。
再婚相手のお連れ合いと3年生の男の子そして魚住けいさん一家と夜の白保の海岸を歩きました。

人差し指ほどのさんご礁の屍骸が海岸を埋め尽くし、裸足で歩ける海岸ではありませんでした。

真っ暗な海を前に‥‥‥
魚住けいさんは泣き崩れ、ご主人に抱き抱えられていた姿が忘れられません。

3年生の男の子と彼が持ち歩いていたハムスターを相手にして暗い海岸で遊びながら、彼女の哀しみがおさまるのを待ちました。

あぁ~
白保の民宿近くに住むおばあからお小遣いを貰った! とはにかんでいた3年生だった息子さんはすでに大学生?

真南風
真南風
今、石垣島は台風の大風の最中でしょう。

魚住けいさん
石垣の嵐の中で泣き崩れているのでしょうね‥‥‥‥


マルバマンネングサ

人里植物。ふつう人家近くの岩場や石垣に生える。小さいながら、しゃもじに似た葉が向かい合う対生で、他のマンネングサと区別はたやすい。学名はセダム・マキノイ。ロシアの植物学者マキシモウィッチが、牧野富太郎博士に献名。摘んでも枯れず、『枕草子』の「いつまで草」は本種か。


毛無夫専務様 投稿者:かめのあゆみ  投稿日: 6月30日(水)08時06分56秒

今度はRびんのメンバーといっしょに森の宮界隈で飲みましょう。

車中のスカも捨てがたいですが、次回は電車でお越しください。

昨日はお世話になりありがとうございました。


20年位前から 投稿者:毛無夫  投稿日: 6月30日(水)08時28分44秒

真南風(まはえ)代表の魚住けいさんとの関係は泉北生協時代の約20年位前から。

泉大津市のある寺院の住職が組合員ですが、一斗缶で沖縄から届く白保のもずくをそのお寺に集まった有志の人たちが小分けし、それを泉北生協が取り扱ったのが最初の契機。

意志ある人の、行動ある人生の軌跡のほんの一端から感じるものが多くありました。


魚住けい様 投稿者:kira*kira  投稿日: 6月30日(水)08時48分2秒


絶句です

7~8年前
徳島で同じホテルに泊まりました

Kumi ちゃん Ero ちゃん うちの末っ子といっしょに

ゴキブリが這い回るホテル
Kumi ちゃんは悲鳴を上げることも出来ず顔面ひきつってていて・・・

暑い暑い夏でした
目眩がするほど暑かった


  白い麻のワンピース
  若草色の麻のストール
  黒い麻の日傘
  素足にサンダル


土埃が舞い上がる暑い暑い阿波踊りの会場で
おひとり涼しげな風情でいらっしゃった
白いワンピースが汚れはしないかというわたしの心配などよそに
暑そうな素振りも見せなかった静かな佇まい


  大人のエレガンス


息子さんのお話を聞いたとき
「命をかけて産んだのよ」とおっしゃった

ひとりの女性として
鮮やかな時間を刻まれてきたことと思います



石垣の海の色のような和紙の名刺に手書き文字

真南風 魚住けい  とだけ・・・


数度しかお会いしていませんが
鮮烈な印象を残した女性でした


ご冥福を心からお祈り申し上げます



                 合掌


魚住けいさんの絶筆 投稿者:大母  投稿日: 6月30日(水)22時01分11秒

●沖縄一次産業の最前線
真南風(まはえ)/魚住けい
生活が農業そのもの。
等身大の農業を育みながら、あるべき姿の農作物を見つめ直す


月20日「ちゃんぷる~」創刊号のサイトで魚住けいさんの原稿が登場しているのを発見しました。
体調の変化を察知して書かれたであろう絶筆。

一年間購読予約の本の様ですが、手に入れてみたいと思っています。


小浜島 平田大一 投稿者:大母  投稿日: 6月30日(水)22時36分25秒


石垣島でのシンポジウム会場その後の移動、そして交流会にひとりの青年が同行していました。

石垣島のお隣・小浜島のさとうきび生産農家の息子と称していたが、その青年が並の青年でないことはその夜半に分かってきました。

土木工事で成立する島の未来を嘆き、農業による自立を促す魚住けいさんの姿勢に大きな影響を受けているようでした。

小浜島でさとうきび収穫の手伝いをしてくれる人達を家に迎え入れ、若い世代の強い繋がりを築いている彼の笑顔は真っ黒に日焼けし、頼もしいものでした。

大母が生産者に発言した内容に、自分も同感すると言った内容のやりとりをした記憶があります。

今宵の様に満月に近い月明かりの中、夜中を過ぎて歩き出した本土からの参加者たち。

公園の一角で月を愛でながら、さんしんの演奏が始まりました。
ほろ酔いも手伝っていたとは言え、いままでに聞いたことがないさんしんの音色に全員が釘付け‥‥‥。
  
と、その時です。
さんしんの弦が切れたのです。
演奏者はとっさにさんしんを裏返し、見事に演奏を続けました。
その演奏はさんしんを弾くのではなく、さんしんを叩き、演奏を続けるという技を披露してくれました。

彼の名前は平田大一 ひらただいち

翌朝の2回目の会議、昨夜の月夜の演奏の場にいらした中村尚司さんが会議の場にきていた彼を見つけ、大母に尋ねられました。

彼の名前は?

平田大一

後に魚住計さんからお聞きしたのは、彼はラジオのデイスクジョツキーもしている青年であることを。

7月11日沖縄で開催される偲ぶ会では、彼の悲しいさんしんの音が披露されることでしょうね。


大母の夢のひとつに‥‥ 投稿者:大母  投稿日: 6月30日(水)22時55分22秒

石垣島で平田大一さんに出会い、大阪に戻ってからの大母の独り言。

いつか実現したい‥‥‥
農業に携わる人々の音楽を通して、農業を大切にと願う私たちと繋がり響きあう音楽の祭がしたい!と。

山形高畠町・田の草取り交流の席で初めて聞いた民謡の世界。田植えしたばかりの田圃に囲まれた中でお聞きした民謡は、テレビやラジオで聞いたことがある民謡とは全く別の世界。

歌い手は高橋さん

フィリピン・ネグロスの縁で知り合った在日フィリピングループ・ラヒンカュマンギ

そして、小浜島 平田大一さん

北から南

音楽で響きあう場を開催したい、と。

魚住けいさんのご協力も頂かなければ‥‥と、どこかで描きながら過ごしてきました。


豪快な笑い声 投稿者:大母  投稿日: 6月30日(水)23時02分2秒

受話器を耳元から離し、豪快な笑い声が納まるのを待ちました。

こんな笑い方したのは、1年ぶり!

電話の向こうから、
「井の中の蛙に」になったらだめよ、と言われたばかりなんです。

はい、お受けします!
頼もしい返事が返ってきました。

7月10日金芝河講演会総合司会を引き受けてくれたのは、かめのあゆみさんです。


 

 
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