青紫蘇ジュ-ス 投稿者:大母 投稿日: 8月 4日(水)07時42分44秒
赤紫蘇は不作
青紫蘇・えごまは豊作
昨日収穫した青紫蘇でジュースづくりに挑戦中!
収穫したのは4株だけ。
今朝の試作で上手く行けば、よりあい金剛でも作って頂き、お茶の時間を楽しんでいただけるかも‥‥‥‥
蒸し器いっぱいの青紫蘇の葉
今から出かけますので、試飲は帰宅後のお楽しみに‥‥‥
みんなの取り扱い品pj 投稿者:パボマリオン 投稿日: 8月 4日(水)15時14分40秒
JR堺市駅前のウエスティ堺での試食意見交換会、終了。
調理室会場は12時までに片付けて 出ないといけないので慌しくはありましたが、段取りよく早々に終わることができました。
子どもさん向けの手作りおやつも理事の機転で、オレンジゼリーと蒸しパンをさっと作ってくれました。
参加者からは泉北NT企画が多いなかで、今回のようにJR沿線での企画があって嬉しかった。これからもこの近辺で企画をとの声がありました。
食べたり、飲んだりしたこともない試食会は新鮮なようで、話が弾みます。開催側も試食会はゆっくり話しができて、組合員の疑問にも直接応答できるのでとても有効で楽しみな企画です。どんどん開催していきましょう。
8月2週きらりブランドとしてデビューした「和うーろん」は、みんなの取り扱い品作りpjのエスコープチーム第1号開発品ですが、カタログ・表紙にもかかわらず、2種類とも1000には届かず残念。
洗わないお茶だからこそ…
毎月扱いですので、9月には利用をさらによろしくお願いしますね。
今、組合員室です。夕方の畑作業…待ちです。
今日締め切りの地域ニュース作成やその他溜まった宿題をしながら待つことにします。
さんまのドラマ、おかしいで 投稿者:アッパァ! 投稿日: 8月 4日(水)23時30分32秒
戦争ってそんなものじゃない。
日本は沖縄戦の犠牲者、広島、長崎の被爆体験を語りながら、サッカーが中国でブーイングを受けたら、相手の品性を批判しています。スポーツと政治は違うと小泉が言いましたが、スポーツは免罪符ではありません。中国での批判に対して、謙虚であるべき日本であるはずです。中国人の記憶の中に、日本はもっと下劣だったはずです。品性を語る資格などありません。
中国のブーイングをなぜ謙虚に受け止め、過去の「重慶空爆」を謝罪しようとしないのでしょうか。日中戦争です。日本ではこの歴史を知っている人すらなくなりつつあります。日中国交正常化で「終わった」と日本は判断しているようです。たいへんな間違いです。「空爆」はアメリカが日本にしただけではなく、日本も中国にしています。なぜ、日本人はそのことに思いが至らないのでしょうか。
「戦争」という言葉で単純化しています。「戦争」をイメージ化をしています。日本の被害側面ばかりを強調することで、ごまかしています。加害者から逃げています。卑怯です。
8月1日、ハングル講座教養講座で6・25戦争(朝鮮戦争)の話をしながら、
「広島・長崎の犠牲者をアジアがともに追悼できるようにしてください」
と、私は語りました。
8月、20世紀を振り返りましょう。
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ホウオウボク
マメ科の大木。めでたい名は、大きな羽状複葉を、鳳凰(ほうおう)の羽根に見立ててつけられた。英名の一つはフラムボイアント。そのため火焔木(かえんぼく)との誤称も。本来の火焔木はアフリカンチューリップツリーをいう。原産地はマダガスカル北部。そこでは乾期に落葉した後に開花、木全体が赤く燃え立つ。 |
広島原爆 語り部の言葉 投稿者:毛無夫 投稿日: 8月 5日(木)09時25分16秒
朝の4時過ぎ、NHKラジオが16歳で被爆した高橋昭博さん(72)…元公務員・後に原爆資料館館長…の話をアナウンサーとの対談で放送していました。
延3000回・30万人に体験を語り継いだ彼は、多くの心優しいアメリカ人に接したことが、彼の「いま」を作ったといっていました。
25年位前に中国に行きました。敦煌に行くことが目的でした。当時の中国は開放前夜のことであり、旅行業も国家の一元支配から民営化の第一歩を踏み出そうとしているときでした。
私たちのツアーをリードしてくれたのは北京の大学生が作った旅行社でした。 (後々判ったことですが、彼らに日本語を教えたのは大学時代の演劇部の先輩で、現在は九州大学の国際文化学部の学部長の岩佐氏でした)。
2週間の旅行で寝食を共にし、上海で別れるときに、彼らは号泣しました。
敦煌周辺の民家も訪れました。道端の農民とも話をしました。(筆談ですが)24時間乗った列車の中でも多くの乗客と接しました。
わずかな体験でしかありません。とても交流と呼べるものではありません。しかし、互いに目と目を見交わしてジェスチャーを交えながらの話し合いは決して、憎悪や敵意あるものではなく、生身の人間としての温かさに包まれていました。
「国家」という枠組みに囚われてはだめなのです。私たちは、歴史によって「作られてきた」のです。「作られた自分」を解放し、自分を作り直すことが必要なのです。「作り直すとき」に、文明観・思想が必要なのです。
中国の人たちの指摘は歴史的に正しいものです。当然ながら、日本人はそのことを受け入れねばなりません。これは韓国の人たちとの関係でも同じです。
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しかし、受け入れる自分は国家を背負った「日本人」では窮屈です。新たな文明観をもった自分でなければなりません。これは中国の人も同じことです。糾弾、指弾、誹謗、中傷からは何も生まれません。懺悔、悔恨、お詫びだけから何も生み出せないことと同じです。
とまれ、「国家」から自由になりましょう!!!
アッパァさんへの反論です。 投稿者:名無しの権兵衛 投稿日: 8月 5日(木)11時22分50秒
さんまのドラマも、小泉総理の会見も見ていません。
しかしアジアカップ・サッカーは必ず観戦しています。
サッカーに限って言えば、ブーイングは、「批判・威嚇・文句」などの意味を持つと思います。その対象は、主だって対戦相手チーム側ですが、審判や味方にだって及ぶ場合があります。観客が熱を入れれば入れる程、また自国を応援する場合など、ヒートアップするものでしょう。そういった意味でブーイングは、「批判」が主ですが、相手にとっては、「威嚇」と感じる場合があるでしょう。
しかし、国家が流れる際、邪魔するような人は、どの国の誰であれ、品性が無いと断言してよいでしょう。そのような品性の無い行動に、「品性が無い」と言っただけで、「日本人に品性を語る資格はない」「どうして過去に謝罪しようとしない」などと言った話になるのでしょうか?
もう一度申し上げます。「国家斉唱を邪魔する行為は、世界中の誰が行っても品性が無い行為である。」誰の目にも明らかです。「中国人だけ許される」と決まっているのでしょうか?
中国政府が公式に、「一部のファンの行き過ぎた行為には賛成しない」と発表しています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040805-00000866-jij-int
私は当然と思います。同じ中国人として恥ずかしいと思うでしょう。
もし日本人が国家斉唱の際、ブーイングを出せば、「品性が無い。同じ日本人として恥ずかしい」と私は感じます。
アッパァさん、礼儀作法を守らないサポーターに対して、「品性が無い」と言っただけで、
>日本はもっと下劣だったはずです。品性を語る資格などありません。
>中国のブーイングをなぜ謙虚に受け止め、過去の「重慶空爆」を謝罪しようとしないのでしょうか。
>加害者から逃げています。卑怯です。
(前後の脈絡は、アッパァさんの原文をお読み下さい。)
あまりにも言いすぎでは無いですか?
「一部のファンの行き過ぎた行為」を使って、日本人を「下劣」としてしまうあなたの発言は、あまりにもひどいと感じます。
名無しの権兵衛で書くことをお許し下さい。
誤字脱字 投稿者:名無しの権兵衛 投稿日: 8月 5日(木)11時24分13秒
誤字脱字だらけですね。
(誤)国家→(正)国歌
名無しの権兵衛
水掛け論では? 投稿者:アッパァ! 投稿日: 8月 5日(木)11時46分46秒
確かに中国のブーイングは品性に欠けます。
私が見たのは、そのような行為には走らせている背景への省察が、日本の論調には見受けられない危うさです。
どっちが悪いと言う前に、なぜなのかを考えるべきだというのが私の本意です。
中国政府の意見は理性的なものとして当然でしょうが、その理性に対し、一部(?)であれ国民の中にある感情を「非常識」と決め付けるのは問題です。
まだまだ日本と中国は相互理解が不足しているのです。この溝を埋めるのは政治や経済ではないだろうと思います。中国とは、先が長いなという実感です。
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イセナデシコ
イセギク、イセハナショウブと並ぶ伊勢の三大名花。これらの品種は、なぜか共通する特徴を持つ。いずれも花弁が長く、垂れるのである。中でも本種はそれが著しい。母種はセキチクだが、ナデシコより花は深く切れて長さ15センチに達す。江戸後期、松阪を中心に数十もの品種が作られていた。 |
20年を振り返った昨日‥‥‥ 投稿者:大母 投稿日: 8月 6日(金)14時13分57秒
一昨日訪問した奈良県吉野郡東吉野村滝野から帰宅し、丸一日寝込んでおりました。なんと表現したらよいものか‥‥‥
苔むした樹齢1千年の木立と枯れることなく流れ続ける滝「投石の滝」。
流れ落ちる滝の淵に置かれた竜神に降りかかる滝のしぶきを体に浴び、時の流れから乖離していく不思議な気持ちになりました。
山郷の保全に欠かすことが出来ないのは人の力。
幾千年も繰り返されてきた樹と向き合う人びと。
山主に嫁ぎ、その人びとが村から離れ、過疎化していく現実を目の前にしなんとか出来ない物か、と動き出したひとりの女性。
雪降る冬にも出来る仕事が有れば、人が戻ってくるかもしれない、と始めた素麺づくりの事業は、自らが製麺技法を取得することから始まった。
恐い物知らずの女性の動きは、嫁先の屋号を社名にすることで親族や地域の了解と信用を獲得してはきた。女性が起業する際、昔からある因習を無視することは出来なかった、と語り続ける坂口良子さん。
事業高二千万円から始まった製麺業は、創業20年にして年商5億5千万円の規模となり、昨年11月から稼動している第2工場は内面に吉野杉とヒノキが大量に使用され、製麺工場としては特異な施設。
この施設こそが、吉野の地域と密着していることの発信であると語る良子さん。
息子さん二人が後継者として就業され、新工場は稼動した。
製麺業としてはこの規模は中途半端なんです‥‥‥‥
これから何をしたらよいものか‥‥‥
20年前と言えば、大母が歩んできた動きと重なってくる。
昨日は、体調を崩したというよりは、まる一日、この20年間を振り返ってゴロゴロしていた‥‥という次第です。
先ほど、坂利製麺のHPを開くと、
「神います 木々の緑は清くして そうめん白し 滝野の里は」、とうたわれているように、神が住んでいるたたずまいを残した手つかずの自然。吉野杉の山々に冷気が漂うころ、美しい水を使い素麺造りが始まります。
と、紹介されていました。 |
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