2007.3.13~3.18
大地を耕す 投稿者:大母 投稿日: 3月13日(火)14時30分21秒
気になっていたセンター緑地整備
昨日理事会終了後にSOS発信。
9時から作業開始
途中でヒヤカシなのか、励ましなのか…楽風さん登場。
曲がった鎌の手入れをし、消え去った~ |
|
SOS発信の理由 投稿者:大母 投稿日: 3月13日(火)14時45分36秒
センターの一角に集められた大型ごみの回収が、明日火曜日午後にあるとの情報が届いたからなんやね。
大型ゴミの横に、生ごみバケツと液肥を保管中。
関係者には大切な液肥なのですが、部外者には臭い容器なんやね。
大型ゴミと区別せな捨てられる~と言うことでのSOS。 |
|
こんにちは! 投稿者:大母 投稿日: 3月13日(火)15時18分36秒
作業をしているとI理事とお嬢さんが声をかけてくれましたよ。
間もなくお引っ越しやね。
庭があるので、何かやってみますと楽しそうやったね。
春よこい~
その前に、今の前のことに諦めたらあかんよ! |
|
昼食 投稿者:大母 投稿日: 3月13日(火)15時27分15秒
会議を終えた理事達と昼食タイム。
|
|
大母はざるうどんと親子どんぶり |
あれこれ悩んで決めたbonamamaさん
あんかけうどんと親子どんぶり
|
|
|
Y理事はカレーうどんとごはん |
中学校のPTA副会長になるんです~
ちょつと困った表情のO理事。
親子どんぶりとミニうどん
|
きよ川 投稿者:大母 投稿日: 3月13日(火)15時43分55秒
おしゃべりと美味しいうどんで満足! 15袋のトントン堆肥を軽々と抱えて、作業再開。
名句 投稿者:コチュ 投稿日: 3月13日(火)20時04分0秒
「さて、そろそろ議案書の作成作業」と思いきや、各部署からの報告書が集まらず。
気合いだけでは作業は進まず、夜に近づき集中力も無くなってきました。
写真を整理していたら、先日、原州のみなさんと徳島へ訪れた時に見つけた名句が残っていたのでご紹介しましょう。
この建物の中は撮影禁止だったのですが、前に立って、しばし詠みふけったものです。
賀川豊彦記念館。男子トイレでの1枚でした。 |
|
爆笑 そして納得 投稿者:大母 投稿日: 3月13日(火)20時48分8秒
コチュ殿
爆笑 !
緊張のひと月間を前に、息ぬかなねぇ~
またまた爆笑~ 投稿者:大母 投稿日: 3月13日(火)23時27分36秒
言った・言わないの編集者は、管理人パソおっちゃんです。
どんぱん節の替え歌歌詞
当日の替え歌は、マダム kiyoko が風呂に入りながら作詞したものでした。
以下の歌詞は管理人のお遊びですので、悪しからず…
うちの親父ははげあたま
隣の親父もはげあたま
はげとはげとがけんかして
どちらもけがねぇ(毛が無ぇ=怪我無ぇ)でよかったね
美味し~ね 投稿者:大母 投稿日: 3月14日(水)20時42分29秒
今夜の離乳食
菜食ファームのほうれん草と北海道夢屋の豆入りお粥。 |
|
|
おしゃぶり? 投稿者:大母 投稿日: 3月14日(水)20時53分44秒
今夜のメニューは「豚ミンチボール」鍋
離乳食を食べ終わった komaki は…
ちくわにかぶりついてま~す
|
協同の家20周年の報告 投稿者:mosuke 投稿日: 3月14日(水)21時27分16秒
まるでライブ中継のようで行っていない人にも様子が伝わりますね。
私もいっしょに楽しめました。
さて、「私の子供達へ」は高石友也も歌っていますが、作詞作曲は笠木透です。
わたしも最近知りました。
笠木透本人の録音もあります。
笠木透さん 投稿者:大母 投稿日: 3月14日(水)21時35分46秒
mosuke さん
ありがとう
笠木透さん作曲作詞なんですね。
ご本人の歌 お聞きしてみたいですね。
ぼちぼちと…… 投稿者:大母 投稿日: 3月15日(木)14時14分46秒
12日に病院での診察を終えた komaki mama。
不自由な体をほぐす為に、整骨院でマッサージを受けたいとの相談をドクターにさせたのですが、まだその段階ではなく、体力を付けることが先決。
マッサージで筋肉を破壊させる事もあるのでまだ早すぎるとの判断のようです。
暖かい日和から寒の戻りになったこの1週間。快復傾向のkomakimamaの様子に安心していたのですが、残念ながらまたまた発熱。
本人は笑顔で大丈夫! と言うのですが、大母はガックリ……やね。
マッサージではなく、何か他のやりかたでリハビリが出来ないものか…
その一つがアクリルたわしづくり。
週末の企画が終わってから、アクリル毛糸を買いに行こうかと考えていました。
ところが、昨日大母が外出中に、ご近所さま親子とアクリル毛糸を買い求めに行き、アクリルたわしを編み始めた komaki mama。
同じことを考えていたんやね~
まさ夢! 投稿者:大母 投稿日: 3月16日(金)11時06分18秒
明日、彦根で開催される「農を変えたい!全国集会 in 滋賀」にパネラーとして参加させて頂きます。
既にレジメは事務局にお届けしているのですが、頭の中はあれこれと巡り、おまけに喉の痛みが加わり、浅い眠りが続いています。
今朝一番 komakimama に、「昨夜、davidの夢をみたわぁ~」と話すと、孫の yu が、最近「david の顔を書いて!」とママを困らせていると教えてくれました。
「フランスで何か起こったんかな?」と話題にしながら朝食を頂いていました。
それから数時間後のことです。david から国際小包が届きました。
「まさ夢やね~」 |
|
明日に向けて緊張気味の大母ですが、嬉しい「まさ夢」と共に、新たな活力をプレゼントされたようやね。
ありがと! みかさん david
熟睡 投稿者:大母 投稿日: 3月17日(土)07時30分23秒
婿殿が京都から到着する前に、深~い眠りの世界に突入。
遺伝子組み換え作物反対運動に参加して10年。今回成立した「有機農業推進法」には、遺伝子組み換え技術を利用しないことを基本とすると明記されています。
100年に一度のチャンス…。
三十数年前から有機農業に取り組まれてきた方々の存在なくして今回の有機農業推進法の成立はなかった。
有機農業の現場から発信されている苦悩から展望への期待感。
これから始まる都道府県ごとの取り組みの中で、生産者・消費者が果たす役割は沢山あるはず。
では、行ってきます!
本番は、爽快な気持ちで挑むしかありません。
彦根城 投稿者:大母 投稿日: 3月17日(土)21時54分44秒
10時30分彦根着
打ち合わせ開始11時、わずかな時間でしたが同行者の皆様と彦根城周囲をドライブ。
金亀公園と案内された一角で、車から降りて歩くことに…
しかし、寒い~寒い~。
同行者の I 氏が指差した先にあった歌碑を映像におさめ、車の中に飛び込みました。
|
|
|
ゆすぶってやれ |
ゆすぶってやれ |
木だって |
人間だって |
|
信義 |
|
|
お疲れ様! 投稿者:大母 投稿日: 3月17日(土)22時30分37秒
呼びかけ人のお一人 京都大学 西村和雄先生
初めてお会いしたのは1996年でしたね。
大型バイクで転倒された直後で、ギブスで固められた腕をかばいながら、お約束の勉強会に来てくださった日のことを懐かしく思い出します。
昨日から始まった「農を変えたい!全国交流会」は明日まで続きますが、西村先生は14日近畿農政局が主催した京都でのシンポジウムでは基調講演者として有機農業推進を呼びかけられ、その足で滋賀へ。
沢山の諸先輩が会場にお集まりの中で、パネラーとして参加させて頂き、正直なところ「疲れた~」。
ところが…会場から出たところで西村先生にお会いし、「先生、生きてますね」と、とんでもない言葉をかけてしまいました。
「そやねん、ナイーブやから寝られん日が続いたんや~」と真面目なお顔で返事されてしまいました。
数年間に亘った有機農業推進法成立に向けた準備期間。
個性的な呼びかけ人のみなさまのご苦労があっての今回の動きです。
すんません
今夜の交流会から抜け出し、帰路につきましたが、今回頂いた情報を整理し、私達の関わり方を探っていきます。
みなさま
ほんまにお疲れ様です!
|
|
|
小雪舞う 投稿者:大母 投稿日: 3月18日(日)09時23分55秒
庭を眺めながら朝食を頂いていると……
雪柳の花びらが舞いだした?
そんなぁ~あほな!
舞い散るほど咲き乱れてはなかったはずやけどな~
改めて、庭へ視線を…
「雪や~」
カメラを抱えて飛び出したのですが、映像に収めるには難しい~
雪騒動で騒ぐ声で起き出したkomaki一家。
「ほんまに雪ですか?」
既に、雪雲は過ぎ去ってまんがな。
「ネットワークゆう」20周年感謝のつどい
会場は和泉シティプラザ
|
11時から開始された記念の集い。
会場は和泉市和泉シティプラザ3階ギャラリー。
|
祝いの花
|
会場では祝いの花々が皆様を迎え入れてくれました。
永野さんのご了解を頂き、本日の記念の集いの映像を登場させていただきます。 |
記念撮影から
|
代表永野恵美子さん、「ネットワークゆう」に家を提供されている方、データから的確な助言をされている85歳の男性豊則さんさんのご挨拶が終わり、まず記念写真の撮影です。 |
利用者もご一緒に
|
介護保険事業が開始されたのは2000年4月から。
記念の集い参加者は、それよりも以前から「ゆう」を利用されているという3人の方々。
送迎など限られた事情の中で参加された方々など、「ゆう」利用者を会場の真ん中のテーブルに座って頂く配置となっていました。
利用者の立場に立って、お世話をさせていただく「ネットワークゆう」のありようが示された配置だと感じましたね。
|
和やかなやりとり
|
撮影者は○○さん (お名前 確認しますね)
和やかな会話が飛び交う中、○○さんの指示で撮影準備。
|
スーパーマンの○○さん
|
○○さんは、「ネットワークゆう」の昼食を週2回調理されています。
店舗サン利用の件でご挨拶にお伺いした際は、調理人の○○さんで記憶させていただいたのですが……
カメラマン
パソコン
編集etc
と多彩な才能を発揮されていることが分かりました。 |
20年を振りかえり
|
昼食を頂きながら、参加された皆さんが20年を振りかえり…
思い出話しを。
|
発起人 高岡さん
|
1986年設立発起人にお名前を並べられた方で、現在も「ゆう」で活躍されているのは永野さんと高岡さんだけ。
高岡さんの手書きの優しい書体が「ネットワークゆう通信」の魅力の一つでしたね。
ご家族の介護でこの数年は、事務局から離れられているようですが、「ネットワークゆう通信」再発行も近いことでしょう。 |
有償ボランティアの走り
|
「ネットワークゆう」が設立される数年前、当時の泉北生協では、ダイナミックな街づくりを組合員活動で起こそうと大議論を展開している最中でした。
その中で、当時の理事長東山和子さんと専務望月さんの呼びかけで、住民参加の助け合いの仕組みが準備されていきました。
組合員以外の地域住民全員も利用できる仕組みづくり。
そのためには、生協事業ではなく、市民事業として成立させるにはボランティアではなく、有償ボランティアとしての設立が宣言されました。
当時としては大変めずらしい仕組み。当時の新聞報道でも何度となく紹介されました。
|
85歳の助言者
|
|
85歳の豊則さんとお会いするのは、今日が初めて。
同じテーブルでお話しさせていただいたのですが、サービス提供現場で発生するトラブルや実績データーから予測できる助言をされているようです。
豊則さんが作成されているデーターが本日準備されていた記念アルバムにも収められていましたよ。
豊則さんは大正11年生まれ。「ゆう」事務所で、スタッフたちの喧嘩を目の前でご覧になりながら、的確な助言をされる」と永野さん談。
サービス提供者としてミスをすることもあるが、まず大切なのは「報告・連絡・相談」の「ホウレンソウ」を大切にしなければ、と話してくださいました。
|
映像と記念アルバムで
|
この日に向けて準備された記念アルバムをめくりながら、更には、アルバムに収め切れなかった映像を登場させて、説明された永野さんでしたね。 |
人のつながり…
|
永野さんたちが「若手3人組!」と幾度となく呼ばれていた中のお二人。
左の彼女は、エスコープで開講したヘルパー講座を2年前に修了されていましたね。 |
10年前から
|
3人娘のもうお一人…山中さん。
「ネットワークゆう」設立10周年企画で、講師三好春樹さんの講演を聴かれた直後の山中さんにお会いしています。
会場に居た大母に、「私もやりたい!」「どうしたらいいのか?」と尋ねられ、永野さんに繋がせていただきました。
当時9歳だった娘が19歳になりました~とご挨拶されていましたね。
|
千の風になって
|
記念の集いの最後は「千の風になって」を皆さんで歌って終わりです。
20年間を振り返る映像の中で、「この方は亡くなっています」と幾度となく話されていきます。
○○さんが亡くなる直前に、お世話させて頂く機会があるのは「ヘルパー名利に尽きる」と言い切る永野さん。
言い切るまでには、何度も涙を流されてきたことでしょう。
合唱しながら涙を流されている方もいらっしゃいましたね。
心が動けば体が動くようにうなる。
引きこもりがちな高齢者を、地域の仕組みの中で外にお連れしていく。
「ネットワークゆう」20年間の足跡が、語ってくれています。
|
映像で振り返る20年
|
映像で登場する場面を懐かしそうにご覧になっていましたね。 |
同期の理事
|
永野さんと同期に理事をされていた佐藤厚子さんもお祝いに駆けつけてこられました。
|
ボランティア
|
「ゆう」が泉ヶ丘の拠点で活動されていた当時に、デビュー前のギターリスト押尾コウタローさんがボランティアでギター演奏をされたことがあるそうな。 |
懐かしい方々
ご夫妻で…
先輩の想いに…がんばります!
|
理事会を代表し、奥万里子、吉田正美、竹口尚子そして大母が参列させていただきました。
大母も設立当時、会員として参加させて頂いた時期が数年ありました。
泉北エリアから南河内エリアに引っ越した直後でしたが、同じエリアでも会員を増やそうと呼びかけ、現在SOS常勤Nさんが参加。
当時は泉北、和泉、河内長野エリアの会員が大半。
同じ時期に、大母もNさんも、地域でストックポイントを立ち上げたこともあり、スタッフとして大忙しの最中でした。
南河内エリアでサービスを受けたいと希望者が居ても、事務局からはエリア内の二人が提供できなければ無理ですとのご返事でしたね。
その時に誓った事があります。
南河内で新たな仕組みを作るしかない。
二人の点から線へ、そして面を作り、助け合いの輪を広げるようとね。
その後、理事になったブッチャンも参加し、会員は3人へ。
それから10年、南河内で新たな仕組み「はんど」が誕生。
他の地域でも次々にグーループが誕生した牽引役は…
「ネットワークゆう」から発信され続けた
私たちの街に
たすけあいの輪をひろげ
ゆうの風を送ろう
からでしたね。
若手理事の吉田さんが緊張した面持ちでご挨拶に立ってくれました。
|
|