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2004-03-01

ビルマ軍政下に暮らす人びと

静かに抵抗運動を続ける勇気ある人に参りました!

2004年2月1日 じばしんにて

2003年10月から一年間ビルマに滞在し、軍政下のビルマ全土を取材しての帰国報告会
 


お帰りなさい! 宇田有三さん

Yuzo さんから出た言葉、「静かに抵抗運動を続ける勇気ある人に参りました!」。「したたかに……」という表現も何度も繰り返して出てきます。

通報社会が形成されてしまった国の中で、外国人がカメラを抱えて取材をすれば何が起こるか。ビルマの片田舎でも私服の秘密警察が尾行する社会。ドアのノックの音におびえながらの滞在。取材先に危険が及ばないようにと細心の配慮をしながらの取材であったことが映像そして Yuzo さんからの報告で伝わってきます。


映画「ビルマの竪琴」を学校の鑑賞会で観たのは今から40年前。オウムと竪琴。鉄条網越しに戦友と分れの挨拶を交わし、ビルマの大地に分け入っていくお坊さんの後姿……。印象的な場面そして悲しい映画だったという記憶だけが残っています。もしかしたら、他の映画の場面と混乱しているかもと思いつつも、仏教系の私学に行っていたのでこの映画を観たことは間違いないでしょう。

この映画の内容が事実とは違うということ。 Yuzo さんのお話で知りました。仏教の中でも一番厳しい修行が求められる「上座仏教」であるビルマの仏教は、自分自身を拠り所として、何事も自分で判断し、自分で生きていく知恵を育てるための修行であり、竪琴やオウムなどを側に置くということは有り得ないということでした。なるほどねぇ……。軍事政権下であっても、自分は食べれなくても修行僧には「寄進」をする文化が社会制度として民衆の中にあるということなのでしょうね。

 昨年5月、アウンサンスーチーさんが拘束され所在不明となりその後、子宮筋腫手術による手術そして自宅軟禁は今も続いている。 アウンサンスーチーさんは軍と対立しようとはしていない。軍は必要であり、政治・経済に関わらずに兵舎に戻ってほしい。このことが日本には伝わっていない!

 独裁軍事政権と言われるほどの特定の人間は居ない。しかし、軍部の一部に利権が集中していることは確か。自然の切り売り(チーク材)で利権を持つ人と他の人の経済格差は大きくなっている。


昨年、ある新聞で見かけた記事「アメリカと比較し、日本政府がミャンマーに対して対話による解決策をしているのは重要なスタンスである……云々」について質問してみました。

日本政府が言う「建設的対話」は15年経過しても効果は何も無い。現状は10年前の10分の1となっており、日本が思ってとるほどの影響力は無い。夢も希望もない生活となっており、ヤミ経済が実質経済を上回っているのが実態であると事例を挙げて説明は続きました。

この日の Yuzo さんは、 Yuzo さんご自身に手を向けてお話される場面が何度もありました。国外難民・国内難民を追い求めた映像。山間地の少数民族の映像。飢えを招くまでいかないが故にビルマの軍事政権の真実が伝わらないジレンマを感じると話す時の Yuzo さんの手は内に向かっていきます。限られた時間の報告会。もっともっと伝えたい!伝えなければ!との想いが重なっての事なのでしょう。

 
私はカメラマンです。活動家ではありません。………… 20世紀は強者の歴史だった。ビルマでは50年も内戦が続いています。声を出せなかった人のことを思い出していかなければ……個人が関わった歴史を残しても良いのではないだろうか。ビルマに外部の者としてどの様に関われるか……。カメラマン Yuzo さんが映像と言葉で発信してくれたこの日の報告。

自然を切り売りし、自然災害を招き、飢餓が来る…。分かりきった方程式を食い止めることが出きるのか。静かに抵抗運動を続ける勇気ある人びとへ何が出きるか………。
 

報告会を終え、ワッフルを食べる Yuzo さんは甘党でした!
  

韓国取材経験がある Yuzo さんとナヌンセ韓日市民協議会の康英美さんを交え、日本の平和運動について意見交換が始まりました。

日本の平和運動には、加害者としての認識が不足しているというのがお二人の共通したご意見でした。

韓国の普通の人びとを取材して見ませんか?との問いかけに、まずはハングル語をマスターしなければという Yuzo さんに、同席した人達から一斉に「ふれあい共生塾」に来てくださ〜い!の声が上がった。

中百舌鳥は喫茶店不毛地帯。やっと見つけた喫茶店で始まった国際貢献の話題。

狭い店内の会話はまる聞え状態。気が付くと、ウェイトレスの方がじっと話しに聞き入っているではありませんか。

彼女はプール学院の学生。ビルマから帰ってきたばかりだったのです。

2002年9月宇田企画をビックアィで開催したことがあります。ビルマに出発する直前の企画でした。

その時、会場に来ていた女性が何の連絡も無くビルマに行き、全く奇跡的に Yuzo さんと遭ったという話題が出た直後のことです。不思議なことがあるもんやなぁ〜と……

彼女は6月から再びビルマにいくようです。

大学では、あの森本君もよく知っているとか。 Yuzo さんやヨンミさんから出されてくる関係者のお名前。

ここで繋がって行きます………。

全く不思議。偶然にしては出来すぎですね。

 

 

 

 

  

 

 
 
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