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ユボ村で迎えた朝

2006年1月28日(3日目
 


ユボ村の夜明けは鶏の鳴き声で始まり、子供たちが掃き清めるほうきの音がリズム良く続きます。

2階の窓を開けに来てくれた女の子。蚊帳に包まれ、まだ眠り続ける彩花ちゃんでしたが、村で目が覚めたことに気が付くと郁実おねえちゃんと家の前の子犬と遊びだしました。
   

アナシャおばあさんが窓辺に座り、丁寧に削ぎ切りしてくれた大根。ラ・カステリアナ市場で買い求めてきた干し魚と合わせて酢の物となりました。昨夜残ったご飯はガーリックライスに変身して食卓に並べられました。
  

窓辺に座り、大根を刻むアナシャさん
  

台所です。熱源は薪、水は裏の川から引いています。
電気は使えますが、薄明かり程度の照明です。

  

アブラヤシ
  
バランゴンバナナ
  

朝食を終え、水浴びをする子供たちと裏山に向かいます。マーガリン・ショートニングや石鹸の材料となるパームオイルは、アブラヤシの果肉から採取します。
   

何よりの遊び「水浴び」
   

アナシャ・デメレエさん 82歳

悲しいことはいっぱいあった……でも
  

アナシャおばあさんが生まれたのは、ユボ村から更に1時間以上登ったユボアパー村。15歳で結婚、花婿は17歳。コーヒー、バナナ、野菜を作る小作人だったが、土地は自由に使わせてくれたとか。

新婚時代に日本軍のネグロス島侵攻を体験。カンラオン山頂上近くのユボアパー村にも日本軍が来るらしい、銃剣で刺されるらしいとの噂が広まり、山から下山し学校に避難。非難先では何もされず終戦を迎え、それから58年間ご主人と14人の子供、50人の孫、ひ孫の数は?に包まれて暮らしてきたアナシャおばあさん。

2003年ご主人が亡くなられ、今は7番目のホビートさん夫婦と孫と4人暮らし。「悲しかったこと?いっぱいあるよ、1985年国軍に息子が殺された…でも今は1日3回の食事が食べられるので幸せだよ」と語り続けるアナシャおばあさんのごつごつとした手には、家族の幸せを願い続けてきた力強さが満ち溢れていました。
  

アナシャさんの娘さんの家の前
      


生き物が行き交うアナシャおばあさんの家
  
眼下に広がる段々畑の美しさに見入っているのは鍛冶朋子さんと松山秀幹さん。
  

ユボ村にさようならです。川を渡りきり、Vサインの彩花ちゃん
  


2004年1月12日のユボ村

2年前のユボ村。炭焼き作業を手伝う子供たち、山道での運搬手段はカラバオ(水牛)
   
サリサリストアで売られている「燃料用炭」
  

仕事が終わればカラバオも水浴びです
  

  
1 日目  1月26日(木) 

関空10時発→マニラ→ バコロド着(17時50分)  
(時間は現地時間 時差1時間)

2日目  1月27日(金) 

○オルタートレード財団(ATFI)事務所
○バランゴンバナナ生産者協会(BGA)
○カネシゲファーム ○有機堆肥センター(DOEI)
○ラ・カステリアーナ市場 ○ユボ村(泊)

3日目  1月28日(土)  ○ツブラン農場
4日目  1月29日(日) 

○ヘルベッチヤ教会日曜市 ○エスペランサ農園(泊)

5日目  1月30日(月)  ○マスコバド糖製糖工場(ATMC) ○バコロド市内見学
○オルタートレード社(ATC) ○大橋成子さん宅訪問
6日目 1月31日(火) 帰国  バコロド発(10時50分)→関空着20時40分
  

  
  
    
 
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