2002.5.2
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還暦記念の旅 三橋節子美術館へ


  
2010年7月5日〜6日 滋賀県大津への旅


  
  
三橋節子作・絵本「雷のおちない村」
主人公くさまおのお顔とそっくりな孫・想太(7ヵ月)
 

「還暦記念に行きたい場所はどこ?」 との家族の問いに 「三橋節子美術館やね」 とやりとりして数カ月。念願の美術館訪問が実現できました。この日に合わせて集合した家族と大津で合流。

「三橋節子美術館」 のことを知っているのは、2007年2月4日にNHKで放映された新日曜美術館を観ていた次女と大母だけ。詳しい説明もせずに美術館に到着し、約10分間に編集されたビデオを皆で観て館内へ。

http://daichinohaha.sakura.ne.jp/BBS/2007/070201.html


楽しいビデオが始まる〜、と喜ぶチビギャングさん達でしたが‥
  
  

  

  
結婚を機に昭和43年大津・長等(ながら)に住まい、同じ日本画家のご主人と共に創作活動をされながらお二人のお子さんたちに恵まれていた三橋節子さんでしたが、昭和48年鎖骨腫瘍のため画家の生命線ともいうべき右腕を切断。
  
その後、入院中から左手で文字を書き、絵を描かれるようになり、半年後には滋賀県の民話を題材にした 「三井の晩鐘」 「田鶴来」 「湖の伝説」 「花折峠」 の作品を描かれています。

昭和49年末には左肺への転移が発見されるなど、体調が悪化する中で想像を超えた精神力で絶筆となった 「余呉の天女」。

を完成され、同時におこさんたちへと絵本 「雷のおちない村」 の創作にも取り組まれていたのですが、昭和50年2月35歳で亡くなられています。
   
   
亡くなる7時間前にお子さん達に書かれたというはがきが展示されていました。館内に展示されている作品を観終え、このはがきを前に、子を思う母親の優しさと強さに涙がこみ上げてきます。
  
   
残念ながら絵本は未完となり、18ページの絵本の中で12枚はカラー、未完6枚はご主人鈴木靖将さんが白黒で描かれ、一冊の絵本「雷がおちない村」が完成されています。
  

一周忌に出版された「吾木香 三橋節子を偲ぶ」
  
  
三橋節子さんのお父様が編集・出版された 「吾木香・われもこう」 は節子さんが大好きだった秋に花を咲かせる野草の名前です。親より先に亡くなった娘・節子さんを不憫に思うご両親が娘の生き様を残そうと、彼女を知る方々の文が紹介されています。
  
本の終盤にはお連れ合いの鈴木靖将さんが登場されています。
  
「…僕がこの花とはじめて出会ったのは、もう八年も前、おまえの絵の中であった。小さな画廊でおまえは展覧会をしていた。野草を主にした絵が並んでいた。静かなやわらかい色が響き合い、その中に野草がリズムのように描かれていた。その小さな絵の下には、吾木香と書かれていた。それは僕が、知らなかった花がかもす不思議な知らない広がりを感じさせた。そしておまえは、その絵と写生したもうドライフラワーになった吾木香を、後に僕にプレゼントしてくれた。吾木香がいっぱい咲いているところへ行こうというのがそれからのおまえと僕のいつもの夢であった……」
  
三橋節子さんを 「おまえ」 と呼び書かれていく出会いから死別までには、同じ日本画家として創作半ばで死を迎える無念さを、愛する女性との別れを覚悟され最期まで添い遂げていかれる様の悲しさを、そして、残された 「くさまお君」 と 「なずなちゃん」 の成長に我に返るおつれあいの姿が読み取れていきます。
  

三橋節子美術館前にて
  

  
       
長等山不動明王
  
  
  
  
美術館から徒歩で下って数分の山手にある長等不動明王です。やまもみじの大きな大木が来る人に優しい影を落としてくれます。 美術館から無言で歩き出した先に、涼しげな茂みが見えてきました。美術館を訪れたことは忘れてしまうチビギャング達でしょうが、大人たちには深い感動とこれから先の毎日をいとおしむ気持ちを思い起こさせてくれる記念の旅となりました。
   
  
  

  

  
  
  
                

 
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