結婚を機に昭和43年大津・長等(ながら)に住まい、同じ日本画家のご主人と共に創作活動をされながらお二人のお子さんたちに恵まれていた三橋節子さんでしたが、昭和48年鎖骨腫瘍のため画家の生命線ともいうべき右腕を切断。
その後、入院中から左手で文字を書き、絵を描かれるようになり、半年後には滋賀県の民話を題材にした 「三井の晩鐘」 「田鶴来」 「湖の伝説」 「花折峠」 の作品を描かれています。
昭和49年末には左肺への転移が発見されるなど、体調が悪化する中で想像を超えた精神力で絶筆となった 「余呉の天女」。
を完成され、同時におこさんたちへと絵本 「雷のおちない村」 の創作にも取り組まれていたのですが、昭和50年2月35歳で亡くなられています。
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