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2003-03-02

2002.8.18〜8.20 

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わくわくしながら読んでいますよ! 投稿者:大地の母  投稿日: 8月18日(日)11時18分14秒

読めた〜!

吉田太郎箸
200万都市が有機野菜で自給できるわけ
 (都市農業大国キューバ・リポート)

さぁ、今から姉妹編
有機農業が国を変えた
  小さなキューバの大きな実験

を読み始めます。


熊とった! 熊食った! えぇっ! 投稿者:大地の母  投稿日: 8月18日(日)15時36分35秒

熱い紅茶とシュークリーム

大母 ひとりのお茶タイムを楽しみながら
   メールチェックを開始・・・・
   新着1通有り  随分時間がかかります。
   写真添付つきかなぁ?

   大母 一人の世界です。
   そうなんです。大地も居ません。
   奈良の山奥に川遊びに出かけました。
   大地の首には迷子にんなったときの連絡先を書いたバンダナを巻きつけてやりました。
   今頃 川で犬泳ぎをして楽しんでいることでしょう。

   15年ほど前でしょうか、琵琶湖サマーキャンプ3泊4日企画が生協でありました。
   
当時中1の長男を頭に娘二人も参加させました。
 
   大母は当時創めたばかりの個人配達運転手として早朝から日が暮れるまで
   地域の中を走り回っていました。
   
   3人の子供たちを送り出した途端に朝・昼・夜と眠り続けた時のことを
   思い出しました。亭主殿は何してたんだろう?覚えてない・・・・

 熊とった

 熊食った

山形県東置賜郡高畠町 
たかのんこと高野尾さんから3枚の写真とともに届いたメッセージ

大母一人のお茶タイムをしんみりと楽しんでおりましたのに・・・・・

たかのんから届いた強烈な一発
丹精込めて作ったデラウェイが猿に荒らされ、完全無農薬米の田んぼ作業に追われる中で地域の中での葛藤・・・
あのメッセージをこの掲示板で読んだ方々からは、「言葉がでない」と心配するお便りが届いていました。

たかのん!
どゃぁ! という強烈な一発やねぇ。

熊捕り騒動情報を待っていますよ。
それにしてもりっぱな熊の写真です。
たかのんは怪我はしなかったんですね。



地下鉄1号線 投稿者:大地の母  投稿日: 8月19日(月)01時28分26秒

BS2 キムミンギ 作・演出のロックミュージカル
地下鉄1号線が放映されています。

大母 気がつくのが遅かった〜
この時間に仲間たちに電話をかけることも出来ず・・・

昨年11月 大阪梅田でライブを観て衝撃を受けた作品です。
その後5月 NHKで放映され、娘が録画してくれたことがあります。

順主役のイ・ジウンさんは、ウオンジュで医療生協立ち上げで奔走されていたチェ青年の奥様です。

今この掲示板をご覧になっているあなた
3時間近くの大作ですが是非ご覧になってください!


福山雅治? キムミンギさんなんだぁ!! 投稿者:大地の母  投稿日: 8月19日(月)08時18分22秒

聞きましたよ
キムミンギさんの「朝露」の歌声を

夜中、韓国の演劇について座談されているBGMとして、ほんのわずかですが流されていました。

福山雅治のCDが話題になっていますが、彼よりももっと素敵な歌声とオンマァ様からお聞きしていましたが、ほんまにそうでした。


ハンモックの中で・・・夢よきえないで〜 投稿者:大地の母  投稿日: 8月19日(月)09時24分11秒

吉田太郎著 
有機農業が国を変えた
 小さなキューバの大きな実験
 
 読み上げました。
 心地よい疲れに包まれています。
 
2冊目を読み出してまもなく・・・・
フィリピンで出会ってきたオルガナイザーや生産者を、キューバで取り組まれている農業情報を知らせてあげたい。出来ればキューバに行かせてあげたい、と思い出してきました。
吉田太郎氏もよくご存知のトトさんを連れてキューバに行かせてあげたい・・・・

早速JCNCに繋いでみよう。

大母 8泊7日のフィリピン訪問を8回経験しています。
同じ亜熱帯気候の農民が直接交流が出来れば、解決できそうな課題が具体的な事例としてこの本には記載されています。ひとつだけの技術に頼るのではなく、いくつかの方法で持続可能な農業を目指すありように大いなる刺激を受けています。

キュ−バ訪問を終え、報告のまとめ方について構想を練るときの心境になっていますね。

椰子の木の間に渡したハンモックの中で気持ち良く寝ている大母・・・

鉛筆片手に本を抱えたまま寝込んでいる大母の夢


ウイーン、ブリュッセル 投稿者:ホームページの編集者  投稿日: 8月19日(月)09時48分35秒

ウイーンそしてブリュッセルと10日間ほど旅行に行ってきます。
ウイーンはドナウ川が大増水で大変らしいから千本の桜で有名になった、「桜の森」を見ることができません。ドナウ川は朝日新聞の天声人語に書いてあるような「美しき青きドナウ」ではありません。いつも濁っていて、どこが青いんじゃ! というのが見た感想です。

数年前に川について日本経済新聞に載っていた記事を紹介しましょう。たしかどこかにあったハズだけど……。あった。あった。

 利根川100、木曽川60,淀川30、テムズ川8,ドナウ川4,ミシシッピ川3。この数字は川の「不安定さ・危うさ」を表す一つの目安で、河状係数という。渇水時の最小水量で、増水時の最大流量を割った値だ。数字が大きいほど流れが激変する扱いにくい川、ということになる。
 首都圏近くを流れる板東太郎・利根川の場合は100倍も流量が変化することを河状係数が示している。同じく日本の大都市圏を流下する木曽川や淀川も2ケタ変動する。それに比べて欧米の大河の変動幅は1ケタで、まさに悠久の流れである。もちろん、河状係数は観測する地点やその期間の気象条件などでかなり違ってくるが、日本の川が総じて大きな危うさを抱えているのは間違いない。
 山地から急傾斜で海へ注ぐ川に、台風のような集中的豪雨が毎年襲うと、河状係数は極端にハネ上がる。昭和40年代には、筑紫次郎の筑後川は3750、四国三郎の吉野川は5063という、とてつもない数字がはじき出されている。
 日本有数の大河川ですらこれだけ「ふれ」が大きいのだから、小さな河川では、か細い流れがあっという間に濁流、激流、奔流に変身するのは、日常茶飯の出来事だ。だから川と親しみ川を利用する人々は、ある距離を置いて川と付き合ってきた。甘えず、背を向けず……。この適度な距離感の喪失が、先週末に相次いで「中州の悲劇」の背景にあるのかもしれない。
 以下、云々……。 (日本経済新聞・春秋より 1999年8月22日付)

ヨーロッパの川は堤防というものがあまりなく、増水するとそのまま畑にじわじわと水があふれてくるのです。昨年は、パリがそんな状態でした。上空から見たセーヌ川は幅何キロにもふくれあがり、どこに川があるのかわからない状態でした。
それでもわたしは、やっと取れた休暇で予定していた旅行に出かけます。ウイーンの森での食事、ブリュッセルのムール貝そしていろんなビールの飲みくらべ、ああ、たまらんなあ。きょうは仕事を早く終わろう。明日はオーストリア航空で一路ヨーロッパへ……。


ぱそおっちゃん行ってらっしゃい! 投稿者:大地の母  投稿日: 8月19日(月)10時19分20秒

早く帰ろうって・・・・・
それ 大母に向かって言ってるでしょう?

はい ハイ はい ハイ

筑前の神・井上氏はすでにおつちやん様はウィーンに滞在中と思っているようでしたよ。
川の氾濫による被害をTVで観ながら、おっちゃんのことを気にしている方々がいるということですよ。
まだ、大母にこき使われているのにねぇ〜

熊とった! 熊食った! の写真が届いたのが出発前で良かったと昨日は思いましたよ。
今朝は早速からいったいわないに熊の写真を貼りつけて頂きましてありがとうございます。(ほんまに感謝してまんがなぁ!)

大母 明朝からあぶらむの里に行きます。
2泊3日の予定です。

週末は博多行きです。

ぱそおっちゃん!
お互いに・・・元気に飛び跳ねてきましょうね。
(私は静かな旅をしに行くのですよ。大母から遠く離れて・・・ね)
(はい ハイ どうぞ どうぞ 大母も静かな山に行くのですから)

このHPは「私のHP・・・」と捉えて頂いてる方々が大半ですので、二人が不在中の掲示板管理は皆様におまかせいたしますよ。


天は芸術作品 投稿者:大地の母  投稿日: 8月19日(月)14時21分09秒

たかのん殿

お米の花 咲き出したんですね。
小さなちいさなお米の花が・・・・
奇麗な写真ですね。

香りが無いので気が付かないことが多いお米の花ですが、もしかしたら、日本でいいえ世界でいちばんたくさん咲く花かもしれないなぁと思っています。
お米文化は世界中にありますからね。

上和田の燃えるような夕焼け

だれも等しく眺めることができる芸術作品ですね。

熊の肉
食べます。
いいえ食べてみます。

以前食べたことがあると思っていたのですが、それは猪の肉でした。

たかのん殿
食べ方も教えてくださいよ。


ナヨン村に乾杯!その1 投稿者:大地の母  投稿日: 8月19日(月)21時05分22秒

元気がでるメールが届きました。
皆さんもお会いしたことがある大橋成子さんのご主人・アンボ(フレッド)が町長に当選した!という快報です。


 新村長誕生  大橋成子(フィリピン ネグロス島在住)

7月15日、夫のフレッドがナヨン村長に当選した。
最終結果が分かった夜6時、村の広場(プラザ)にカラオケセットが何台も持ち込まれ、小さな子どもからおばあちゃんまでが、フィエスタ(村祭り)さながら、チャチャやサルサを踊りまくった。この日のためにと大切に飼っていた豚を1頭絞めて、丸焼き料理を振る舞ってくれたアグネスおばあちゃんや、海にくりだし、魚や貝をボートいっぱいとってきてくれた小学生の子供たち、大きななべや釜をかき集めて食事を作ってくれたナナイ(お母さん)たち・・・村人たちは皆、貧しい漁民たちだが、家にある食べ物を持ちよって、お祝いに駆けつけてくれた。

一人暮らしのロイじいさんは家に残っていたイワシの缶詰一個を手に「俺も一緒に踊らせてくれ」とやってきた。
 ナヨン村は有権者数900という小さな村だ。今でこそ小さな橋があるが、20年前は渡し船で行き来する中州だったという。ナヨンとは「あちら」という意味で、かつて人々は船頭に「あちらまで」と船を頼んだことに由来するという。ナヨンという言葉にもう一つ「雌豚」という意味がある。とにかく子どもが多い村で、兄弟姉妹が平均8人〜10人というのが一般的家族なのだ。我が家の子ども5人はここでは小家族に入る。日本では出会ったこともない、第2いとこ、第3いとこまでがこの村では大きな意味の家族になる。裏の干潟でとれる貝や牡蠣が有名で、それをいつも食べているとカルシウムたっぷり、豚のようによく子どもが生まれるのだ、と違った地名の解釈をする年寄りもいる。

・金と暴力で動く選挙

 過去10年ナヨン村に君臨していたエリック村長は泣く子も黙るほど、村人に怖れられていた。上院議員コフアンコ系の政治家や地主からお金をかき集めるのが得意で、ナヨン村の選挙に初めて「票買い」や暴力団を雇う方法を取り入れたのはエリックだったということは皆が知っている。以来、選挙というと、村人たちはこっそり握らせてくれる50ペソ、100ペソ(250円)と交換に彼に投票していた。

高齢のためエリックは引退し今回の選挙に甥のレックスを出馬させた。レックスは元村長が選挙の度に雇っていた暴力団の取り締まり役で、青年層目当てにドラッグ(コカイン)を売り捌いていることも村の人なら誰でも知っている。でも「しゃべれば仕返しされる」という恐怖が、見ざる、聞かざるの文化を作っていた。

 今年初め、レックスが出馬することを知った村の人たちが家に集まり、次回の選挙はぜひフレッドにでて欲しいと頼まれた。「家の子供たちをドラッグの非行に走らせたくない。金と暴力でにらみを利かせる村の政治はもううんざりだ。村の皆には私たちが怖がらないように説得するから。」とナナイたちは口を揃えてフレッドを説得した。それから、準備が始まった。今までずっと口にできなかったことを一つ一つ公然としていく活動だ。まず最初が汚職の暴露。県、市役所から過去のナヨン村の予算執行やプロジェクトを調べた。年間、30万ペソ(約75万円)という小さな予算額であるが、過去3年間に馬、カラバオ(水牛)、やぎの配給や井戸の増設、水道設備、マングローブの植林、医薬品の配給と村のヘルスセンター建設・・・とかなりのプロジェクトが終了したことになっていた。


ナヨン村に乾杯! その2 投稿者:大地の母  投稿日: 8月19日(月)21時06分04秒

・恐怖を乗り越えた人々

  5月、350名の村人の署名を集めて、当時の村長及び村会議員を前に、村民総会を開催した。市長と警察分署長も招待した。ナヨン村始まって以来のことだ、と年寄りたちは興奮していた。
「馬やカラバオはどこにあるのですか?」「薬はどこ?ヘルスセンターは?」 「いくつもの井戸が壊れたままで、飲み水にも事欠いている!」次々と手を上げ立ち上がって質問するナナイやタタイ(お父さん)たちを見て私はびっくりした。

こういった事には無頓着で毎日の生活だけを考え、酒や博打でうっぷんをはらしているんだと、私の心のどこかであきらめていた人たちが目の前でマイクを握っている。質問を受けた村長も議員も誰も発言しない。すべてを秘書の女性に答え
させた。彼女は突然泣き出してしまい、自分は「領収証一枚見たこともない」と
初めて本当の事を言った。
 それからだ。村は急に活気づき、選挙、選挙と大騒ぎになった。母親たちのジョークが粋だった。村のサリサリストアーに醤油や塩を買いに行かせる子どもたちに向かって、皆に聞こえるように「領収証をもらってきなよ!」と大声でどなりあ
う。

毎週会議が開かれ、新しいナヨン村の計画を検討した。まず、広場に村のセンターを作る。そこに青年、ナナイ、保健、文化などデスクを設ける。村の予算と責任者を表記したプロジェクトの内容を掲示する。最初の仕事は海岸の防波堤を強化して水害を防止すること、次は水道の完備・・

・共産党? 日本軍のスパイ?

 窮地にたったレックス側のファミリーは従来村を支配してきたプライドにかけて、あらゆる中傷をはじめた。まず、「やつはNPA(共産党の新人民軍)だ!」フレッドはかつて共産党の活動家だった。このことは村の誰もが知っている。この誹謗は「テ、アノ?(だから何なのさ)」という村人の無視に会い、まもなく消えてしまった。次は私に降りかかった。「成子はかつての日本軍が雇ったスパイだ!」 「ナヨンの写真を撮ったり子どもたちにインタビューして日本で高く売り捌いている!」もうなんでもありだった。

 彼らは大掛かりな「票買い」も始めた。50ペソが100ペソに最終的には300ペソまで跳ね上がった。誰でも金の力には弱い。フレッドを応援する人々は村の要所に5つの臨時寄り合い所を作った。いずれも、選挙運動の人たちがコーヒーを飲んだり談笑する場所だが、金が一番動く投票前夜、この寄り合い所は関所になり、レックス側が村人を尋ねてお金を渡さないよう、徹夜で監視した。お父さんたちはすぐ酒を飲んで寝てしまうので当てにならないと、女たちが夜食を用意して朝までがんばった。

ナヨンにはノラ、ノルマ、ニグラという有名な女3姉妹がいて、ミクロネシアの女たちもびっくりというほどの巨体。喧嘩も博打も強く、そこらへんの男は絶対かなわないし、彼女たちの夫も子どももでっかい。この3姉妹の家族が中心にフレッドの護身を勤めた。フレッドも体格がいいが、彼女たちに囲まれて歩くとどこにいるのかよく見えない。こんな話もあった。レックス側は母親たちを買収できないと分かると青年たちに金を渡し始めた。50人の若者たちはその金を皆で彼の家に返しに行ったのだ。私たちは涙がでるほど彼ら彼女たちの勇気がうれしかった。
 
 今度の選挙で様々な人間が見えた。金に汚く、ずるく、うそだらけの人々と、勇気、情熱、変革を選んだ人々。私たちの出費は寄り合い所のコーヒーと砂糖、フルタイムで選挙を手伝ってくれた家族への米代だけだった。金がないと勝てないといわれる選挙で当選できた秘訣は、新村長のサポーターが圧倒的に女性と青年が多かったからだと私は思う。「お金よりモラルがこの村に必要」といった彼女たちの声と力がこれからのナヨン村に多いに発揮されなければならない。これからが楽しみだ。(了)


9.28企画 投稿者:大地の母  投稿日: 8月19日(月)23時54分36秒

9月28日29日企画の提案書を関係者に送信しました。

不明な点は大母携帯までご連絡ください。

H.けいこには送信できていません。
どなたかお知らせくださいな。
マリオンさん、明朝までに確認して返信してください。

なんとか今日中にできたぁ〜!

JCNCのゆきちゃんへ
メールでお願いしていました提案の件
是非ともご検討くださいませとお願いしてくださいませね。

ラヒンのレコーディングが残り1日ですって?
CDの完成
楽しみに待っていますよ!


岐阜の山並みの中に身を置きに・・・ 投稿者:大地の母  投稿日: 8月20日(火)06時15分51秒

おはよう!
涼しい〜
6時までぐっすりと眠ることができました。

今から旅支度を開始します。
旅と云っても、夕食に間に合うようにあぶらむに着けばいいのです。聞きたいCDをたくさん持ち込んで・・・
車中を楽しみながらいくことにします。

あぶらむは寒いかも〜
羽織るものがいるかな?

では 皆様 
あぶらむトラスト運動の進捗状況を楽しみに
行ってきます!


秋が近づいてきた 投稿者:MARION  投稿日: 8月21日(水)07時41分28秒

おはようございます。
昨夜ほぼ予定通りの時間に滋賀針江訪問から帰ってきました。
2地域合同、バス2台とワゴン車、総勢60名。
もの作りにこだわり、環境保全の視点をもち、それを街ぐるみで循環させているしくみに驚いたという、参加者の感想が多かったです。感じる企画になってよかったな。詳細はどなたか報告を!

さぁ、今から会議。
本格的に? 秋にむけて活動を開始しています。


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