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2003-10-22
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2003.10.21〜10.23 Topの写真 投稿者:アッパァー 投稿日:10月21日(火)23時04分46秒 上から3つ目の写真。 なんと言えばいいのか、とにかく感謝です。 鶴見先生には、いつも通訳で分に過ぎるお言葉を頂いてきました。自分としては、私がしなければならないからしているだけと思っていたのに、「通訳のいることを忘れさせる」と何年か前に言って頂いたことがあって、その時は「あれっ?」と思ったのですが、これはこの上ない賞賛ではないかと思い至りました。 私は通訳をするために生きている人間ではありませんが、金芝河先生という韓国を代表する人と、また、鶴見先生のような日本を代表する哲学者、知識人の間に立ち、私に役割があることをこの上なく光栄に思えます。 3枚目の写真、私は一生懸命通訳し、金芝河先生は興に乗ってニコニコしています。私もそのオーラの中で、それなりに通訳を楽しんでいます。右端の鶴見先生の目線が、背中をのけぞりながら私に向いていて、それもわが子を見るような優しい眼差しです。 82才の鶴見先生、金芝河先生は鶴見先生を称して、「死んだ父に会っているようだ」と私に言ったことがあります。宮田毬江さんは、7月に韓国に同行したのですが、韓国の新聞記者が金芝河先生と宮田毬江さんのツーショットを撮りながら、「まるで姉弟のようだ」と呟いた言葉が印象的でした。 大母のおっしゃるように、70年代、80年代、それは生死をかけた時代でした。その時代を振り返られる今、なんだか日本人と韓国人は「家族」になれたようで、心温まります。 3番目の写真、私にはこの上なく「ありがたい」写真です。 あの日は歴史的な場面だったんですね。 投稿者:大母 投稿日:10月22日(水)00時01分23秒 はい、アッパァ!様 アッパァ!様からお誘い頂けなかったらあの歴史的な場に遭遇することはできませんでした。 鶴見先生だけではなく、大江健三郎さん達も巻き込んだという金芝河さんの三十数年前の発言。当時の文化人の中で大きな波紋となって広がって行った……のだろうと想像するだけで、京大会館で金芝河さんご自身の口から修正しますと発言されたあの日のあの場面というのは歴史的だったんですね。
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