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2003-09-17

韓国記念旅行

(2002年9月2日〜9月5日)

韓国の国花  むくげ(ムグンファン)
「むくげ、三千里、華麗な山河」と国家の中でも歌われている。実際に咲くむくげの花はとても地味で、派手さは無いが地味に 長く粘り強く咲きつづけるその姿は、日本の桜とは全く対照的。
 

キムミンギ「朝露1970年」の歌を始めて聞いたのは2002年2月末。意味も分からず、途中から聞いた人曰く「賛美歌?」。その後ハングル講座に参加し、康英美先生からキムミンギのCDを聞かせて頂いた。優しい旋律からは想像できない歌詞。

その歌詞集には国を憂い、人を憂う・・・・ 今まで知らなかった韓国の心に触れた瞬間て゜した。なんという優しさだろう・・・・ こんな優しい人々が暮らすお隣の国を知らない私たち。

 
コチュ・赤とうがらしとの出会いから
父は86才の誕生日を韓国で祝った!

2001年11月、韓国の赤とうがらしと出会いました。ウムソンの畑には既に収穫を終え、枯れた枝が木立の様に立ち並んでいました。農都生協店舗で手にしたとうがらしはずっしりと重く、日本では観たことが無い大きな容量で販売されていました。

その後・・・・・短い時間にも関わらず、韓国との交流は大母の家族にも風を起こしていきました。

9月1日、86才の誕生日を迎えた父そして大母の家族と共に、「家族旅行」を決行。最後まで行くのを拒んでいた父と夫。娘たちと作戦を練った末の決行でした。
 

ソウル・仁寺洞 (インサドン)
  
街中を行く父
  
南山・ソウルタワーにて
  
突然「あの大瓶を触りたい」と言い出した父
 
横に飾られていた臼も触ってみたいと・・・
  
笑顔で迎えてくれた臼たち・・・・
  
南山でみかけたトーテンポール
  
国立中央博物館
  
光化門
1395年、景福宮(キョンボックン)の完成とともに建立された光化門(クァンファムン)。その歴史を一言で表すと“波乱万丈”という言葉がもっともふさわしい。建立された当初は四正門(サジョンムン)と呼ばれ、今の光化門という名前をうけたのは1425年。

1592年、豊臣秀吉の朝鮮出兵により景福宮とともに焼失され、200年以上も時が流れた1864年に、景福宮の再建とともにその姿を取り戻した。

しかし日本植民地時代の1927年、朝鮮総督府により景福宮の東側に移転させられ、1950年の朝鮮戦争の時に再び焼失。現在の姿は、その後1968年鉄筋コンクリートで復元された姿だという。

他の古宮の扁額(へんがく)はハングルで書かれているのに対し、光化門の扁額(門に掲げられた額)は漢字で書かれている。これは1968年に復元された当時の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の直筆である。
 

 
 民族村見学
母にも車椅子を準備、大喜びしたのは母よりも父でした。母の体を気遣っていたのでこれで安心 したのか、ふたりで手をとりあって喜んでくれました。
  
  
  
韓国各地の農村が移築され、畑にはえごまや朝鮮人参とうがらしなどが作付けされ、鶏や牛も農村風景の一角で飼育されています。
昔から趣味で建物の屋根構造に関心がある父は、娘たち に杖を使って説明をし始めました。大母には写真に記録しておくようにと指示が出されます。
クド、カマド? 日本の農家にも昔はあった
  
チェジュ島の集落が再現されています。これはトルハルバンという石像
 
風が強いチェジュ島の集落は石で囲まれています。
 
韓国の時代劇の撮影が行われていました。
その合間に記念撮影。
 
民族村でお世話になった青年たち
 
ロッテホテルの地下でお買い物
  
今回の韓国旅行は「女たちの大作戦」による決行と なりました。母・娘・大母の作戦をみかねた康英美さんが助っ人として登場、いいえ同行して頂いたからこそ決行! できた旅でした。

家に閉じこもがちの父が車椅子を初めて利用したのは7月末大阪でのこと。諦めていたお出かけができると大喜び。では次ぎは韓国だね! この一言が実現できました。途中で母まで車椅子を使うという思わぬ出来事がありましたが、現地でお借りし快適に見学を続ける事ができました。
 
あぶらむで出会った韓国の女子大生サンヒさんも、2泊しながらお手伝いしてくれました。 ありがとうございました。サンヒさん。
 
韓旅の間ずっと付き添ってくださったイ・ピョンヒョォンさん。 ありがとうございました。
  
  
 

 
楽しい思い出がたくさんできました。 たくさん食べ、大きな声で笑い過ごした4日間。韓国では40年振りの台風被害が報道されていました。日本があるので韓国は台風被害は無いのですよとお聞きしていたのに・・・・
チャ牧師そして原州のチェ青年には、お見舞いのお電話をしました。お互いの身を案じ・・・作物の出来具合を案じ・・・ 秋の収穫を祈る・・・・。

「女たちの韓国旅行大作戦」にまき込まれた父と亭主殿は帰国後もすこぶるご機嫌です。
残念ながら父は本日時点(9月23日)では入院の身です。ゆっくりと静養し、また行きましょう! じいじい!

お世話になった皆様に宜しく伝えろ! とのじいじいからの伝言でした。
 


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