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バコロド市内からカンラオン山のふもとに向かいます

2006年1月27日(2日目
 


ホテル・パルマス・デル・マールで迎えた2日目の朝。
子供たちは元気に目覚めてくれました。
  


関係団体訪問  ATFI オルタートレード財団


今回のツアー現地同行スタッフはATFIのハリーさん
  

まずATFI事務所にご挨拶に向かいます
  

カネシゲファーム


民衆交易開始の立役者として信望があった兼重正次氏が亡くなったのが1995年9月。

「カネシゲフアァーム」は兼重さんを記念し、その後改名された農場の名称です。兼重さんの記念碑が設立されており、ネグロスそして世界の平和を願う人々が訪問されています。
  

バランゴンバナナの管理栽培
  
BMW活性水プラント 休止中
  

ネグロスの有機農業実験農場として、養鶏、養豚、果樹栽培、野菜栽培・BMW活性水など多様な実験が試みられています。

1995年10月初めて訪問した農場では、ネグロスの伝統的な建設方法である自然素材(竹・ヤシ)を用いたセミナーハウスやスタッフハウスの建設最中の時でした。大勢の人びとが動き回り、何かが生まれる出る胎動を聞いているようなときめきを感じたものです。

あの時から11年、自然素材の建物は当然のように自然界に戻っていきます。
  

人並みが続いていたハウスへ続く道
  

朽ち果てる直前のカネシゲハウス
  

農場を訪問した際に記念植樹させていた果樹。記念植樹は。農場を訪問した足跡でもあり、農場に常緑樹を茂らせ、木陰を作り防風林として活躍し、収穫される果樹はネグロスの人びとの食べもとなり……と、時間の経過とともにネグロスの大地にしっかりと根付いています。左の果樹は植田久美さん、右の果樹は生産者の大町さん、馬渡さんたちが記念植樹された果樹です。大きく育っています。
  


■ 有機肥料生産センター(DOEI)

2005年1月、カネシゲファームの一角に移設するまでは、マスコバ糖製糖工場に隣接していた施設です。マスコバ糖製糖新工場建設にともない移設されたようです。なぜ有機堆肥生産センターが必要なのか、ここでネグロスとJCNC、ATJ、ATCの説明をしましょう。
  

1.ネグロスと日本ネグロス・キャンペーン委員会(JCNC)

ネグロスは砂糖の島として単一栽培が長年おこなわれていました。1980年代から始まった砂糖を巡る世界の動きに変化がおき始めていました。

ついに1986年砂糖価格が暴落し、ネグロスの砂糖農園地主は大打撃を受け、作付けをやめていきます。フィリピンの貿易収益の中で砂糖は40%を占めていました。その生産地がネグロス島。ネグロス島に大きな変化が起きてしまったのです。

農園で労働者として働いていた人びとの生活は、貯えもないその日暮らし。こどもが6人以上いて当たり前の労働者の暮らしの食卓から食べ物が消えます。飢えは弱者である子供たちに襲い掛かり、ユニセフから世界に向けて「飢餓の島ネグロスへ緊急支援が必要」と発信されたのです。

その呼びかけに応えた日本の市民団体が緊急支援を始めていきました。日本ネグロスキャンペン委員会は、その呼びかけで始まった市民組織です。
  

JCNC総会で挨拶される秋山眞兄運営委員長/2005年5月28日
   

2.オルター・トレード・ジャパン(ATJ)

緊急支援から始まったネグロスとの出会いは、お金や物が日本から届く関係から民衆自ら鍬を握り、あるいは網を広げて食べ物を手にしていきたいとの願いを実現できる具体策に向けて動き出していきます。

彼らの希望をかなえるためにネグロスと日本を繋ぐシンボルとして相応しい交易品はないものか、関係者が島を歩き回り探し出したのが、マスコバ糖でありバランゴンバナナでした。

ネグロスの平地はさとうきび畑ですが、山の斜面にあるバナナの中で日本人が好む酸味と甘みがあり、ネグロスでは市場で売られるというよりも自宅に裏山に生えているバナナ、つまり日本の家で自宅用に植えられている柿のような存在のバナナが「バランゴンバナナ」だったのです。

1986年12月、JCNCの活動を基盤に生協や有機農産物販売グループ、市民団体の共同出資で設立されたのが草の根の貿易会社オルター・トレード・ジャパン(ATJ)です。その後、エコシュリンプ、コーヒー、塩、キムチ、オリーブオイルなどフェアートレード品が増えてきました。
  

ATJとJCNCは同じフロアに事務所があります
   

3.オルター・トレード社(ATC)

ネグロス・バコロド市に本社を置く、現地の貿易会社。1988年設立。1989年バランゴンバナナ生産者、民衆組織、日本の生協、ATJとの協力でネグロス零細農民の自立のためのバランゴンバナナ民衆交易を開始。

ATCは地元民衆組織やNGOとの協力のもと、生産者の組織化や集荷整備、パッキングセンターの設立を行い、輸出への道筋をつけました。以来ATCは主にバランゴンバナナの日本向け輸出、マスコバ糖のヨーロッパ・日本向け輸出、国内販売を担っています。
  

ATC事務所にて
2000年、BRP(バランゴンリニューアル計画)のもとで、
  
@品質向上
A安定供給
B適切な価格
  
を目標に、ATCは既存バナナの品質向上のために栽培管理工程、収穫後の取り扱い扱い管理工程、新産地の整備、を充実させることになりました。(JCNC資料から引用)

  

バナナ病害発生から学んだこと

病害発生は、フィリピンの歴史とも無縁ではありませんでした。スペイン(1521〜1898年)、アメリカ(1898〜1941年)、そして日本(1942〜1945年)と他国の植民地でした。

その間、少数の大地主が広大な土地を使用し、大勢の労働者を支配する構造でした。地主の言われるままの労働をこなすことしか知らなかった階層が90パーセントを超えるなかで、日本に向けて換金作物となったバランゴンバナナの収穫を続けました。

手に入れたお金は、子供たちに3度の食事、学校に行かせる、服を買うなど今まで出来なかった暮らしをまかなうことに使われ、夢はさらに大きく膨らんでいきました。

同時に山ではバナナに変化が起こり、成長が止まり枯れる現象が頻繁に発生し始めていたのです。収穫は出来ても、次の収穫に向けて農地への肥料散布や管理が出来ていなかったのです。

出来ていなかったのではなく、方法を知らなかったのです。日比両国で様々に研究と議論が沸き起こりました。活性水、有機堆肥づくりや他の農産物の生産奨励が始められました。
  


生産が追いつかない有機堆肥

切り返えされ熟成中の堆肥
  
袋に入れ持ち込まれた牛糞とマットプレス
牛糞、マットプレス(精糖過程で出る有機資材)、ミネラル(2種類)を3ヵ月かけて堆肥にします。2005年は1万袋の堆肥が生産されていました。
  
ミネラルの一つ
  
ガリヤルドさんから説明を伺いました
有機資材不足で堆肥生産が追いつかない。竜は牛糞が不足しているとの説明に、日本で厄介者の家畜糞尿を持ち込むことが出来ないか、と提案してみた松山秀幹さんでしたが……。
  

 
マスコバド糖はEUの有機認証を受けています。ここで生産された有機堆肥は、ATCパートナー有機栽培さとうきび生産者に向けて販売されています。

1袋50キロで120ペソ(240円)、化学肥料は900ペソに比べると安価のようです。EU有機認証確認のために、定期検査が実施されているようでした。

※ 参考補足→ネグロスのお米価格 1キロ 20ペソ〜27ペソ 5キロ 400円〜570円
  


  
1 日目  1月26日(木) 

関空10時発→マニラ→ バコロド着(17時50分)  
(時間は現地時間 時差1時間)

2日目  1月27日(金) 

○オルタートレード財団(ATFI)事務所
○バランゴンバナナ生産者協会(BGA)
○カネシゲファーム ○有機堆肥センター(DOEI)
○ラ・カステリアーナ市場 ○ユボ村(泊)

3日目  1月28日(土)  ○ツブラン農場
4日目  1月29日(日) 

○ヘルベッチヤ教会日曜市 ○エスペランサ農園(泊)

5日目  1月30日(月)  ○マスコバド糖製糖工場(ATMC) ○バコロド市内見学
○オルタートレード社(ATC) ○大橋成子さん宅訪問
6日目 1月31日(火) 帰国  バコロド発(10時50分)→関空着20時40分
  

  
  
    
 
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