言葉が分からずにコミュニケーションが出来ない悲しさを乗り越えるのは、自分が努力するしかないと気がついてきた。
大きな転機が訪れてきた。韓国からの転勤に伴って来日してきたダウン症の子供と親御さんのボランティ通訳の依頼が、百舌養護学校からあった。随分迷ったが、私にできることがあるのであればと引きうけた。
養護学校の実態は気分が悪くなることもあったが、子供や先生そしてお母さんたちとの交流が深まるに中で、心を開き合ったおつきあいができるようになっていった。
淡路・阪神大震災後に生協に雑貨の苦情電話をしたことがきっかけで、生協でハングル講座を開催することになった。
今年で7年目になるハングル講座。その生徒さん達が金大中大統領政権発足とともにに金丙鎭さんの祖国帰国を願った署名活動をしてくれ、15年ぶりに祖国の土を踏むことが出来た。
その後、生協関係の通訳をすることで両国で大地に振れる人々に出会ってきた。彼らの笑顔は素敵ですね。大地に触れると落ち着きます。