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2003-02-14

「小林亮の世界」

2003年2月7日〜9日
  
  稲作挿話        宮沢賢治

あすこの田はねえ
あの種類では窒素があんまり多過ぎるから
もうきっぱりと灌水(みず)を切ってね
三番除草はしないんだ

 ・・・一しんに畦を走って来て
    青田のなかに汗拭くその子・・・

燐酸がまだ残ってゐない?
みんな使った?
それではもしこの天候が
これから五日続いたら
あの枝垂(しだ)れ葉をねえ
斯ういふ風な枝垂れ葉をねえ
むしってとってしまふんだ

 ・・・せはしくうなづき汗拭くその子
    冬講習に来たときは
    一年はたらいたあととは云え
    まだかがやかな林檎のわらひをもってゐた
    いまはもう日と汗に焼け
    幾夜の不眠にやつれてゐる・・・

それからいいかい
今月末にあの稲が
君の胸より延びたらねえ
ちゃうどシャッツの上のぼたんを定規にしてねえ
葉尖(はさき)を刈ってしまふんだ

 ・・・汗だけでない
    泪も拭いてゐるんだな・・・

君が自分でかんがへた
あの田もすっかり見て来たよ
陸羽一三二号のはうね
あれはずゐぶん上手に行った
肥えも少しもむらがないし
いかにも強く育ってゐる
硫安だってきみが自分で播いたらう
みんながいろいろ云ふだらうが
あっちは少しも心配ない
反当(たんあたり)三石二斗なら
もうきまったと云っていい
しっかりやるんだよ
これからの本統の勉強はねえ
テニスをしながら商売の先生から
義理で教はることでないんだ
きみのやうにさ
吹雪やわづかの仕事のひまで
泣きながら
からだに刻んで行く勉強が
まもなくぐんぐん強い芽を噴いて
どこまでのびるかわからない
それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ
ではさようなら

 ・・・雲からも風からも
    透明な力が
    そのこどもに
    うつれ・・・
  
 

2月8日(土)9時40分高畠町亀岡  小林亮さん宅到着

どないしたん? りっぱなかつら着けて!……。
小林亮さん宅玄関先での大母の第一声です。たかのん宅から同行してくれていた渡辺五郎さん・二宮隆一さんたちは勿論ですが、玄関先に迎えに出てくれた奥様そして小林亮さんも突然の大母の一言に唖然!

亮さんと初めてお会いしたのは2001年2月第8回生産者交流会の時でした。頭髪が印象的でした。部分的に抜けおちた頭髪、残り少ない頭髪は真っ白でした。

言葉少なに語ってくださる中から、心の葛藤をお持ちな方なのだと印象に残っていました。大母、2000年12月から体調を崩し、現場復帰したばかりの頃でした。親しい友人を亡くして……体のバランスを崩していった亮さんの気持ちを理解することができました。 

昨年7月6日、名古屋で開催された遺伝子組替え稲反対デモに亮さんも参加されていました。抜け落ちた頭髪部分はきれいに生え揃っていましたが、白髪だったのです。

唐突な発言だったかも知れませんが、亮さんが元気になってきたことが嬉しくて……。
 

小林亮さんは大母の3年先輩。200年以上の歴史ある曲家を3年前に一部解体して今も生活されています。小林家の次男だったお父様は、農業技師として北海道の試験場職員として仕事に就かれていましたが、ご長男が戦死され家業の農家を継がれたそうです。

大母の父と同年代のお父様は7年前に亡くなられています。お話しの端々にお父様の生き様から学ばれてきたことが伺えます。お母様であるばっちゃんは痴呆症状があり、現在はショートスティを活用されていました。きよこかぁちゃんとは大恋愛で結婚されたと、ばぁちゃんが孫娘たちに日頃から語り聞かせてくれていたと次女の和香子さんが教えてくれました。

昔は炉が切られていた場所が、堀こたつになっています。改造された台所が見渡せる堀こたつは、家族は勿論のこと来客との団欒の場であり、安らぎの場となっています。

この団欒の場で思わぬ言葉を聞いてしまいました。
−−虚弱だったから、今の自分があるー
えっ?大母も虚弱だったの……。お互いに、どこがよ……という顔になってしまいました。

大母は1歳の時にすでに大手術を経験しています。その手術跡をお見せしました。病院の薬の匂いや往診に来る先生の思い出を、まさか山形で語り合える相手に出会うとは思ってもいませんでした。

ひとつ違う事が分かりました。両親が徹底して太陽の下で体力をつけさせてくれた大母は、ふたりの兄を追っかけて遊び回りました。大母から振り逃げて友達と遊びに行きたい兄たちを必死になって追いかけていました。遊びは外遊びばかりです。お手玉・あやとりなど今もってできません。

亮さんは、お手玉・あやとりが大変お上手だそうです。大母とは反対に室内で静かに生活されていたようです。

この団欒の場には、日本の有機農業運動に関わっている活動家が沢山座っていかれたようです。更に、奥では真剣勝負をかける部屋まで作られています。(笑)
 

車たんす

米沢藩が解体されていく中で、士族たちはたんす作りをしなが生きながらえていた時があったそうです。そのときに作られた「車たんす」は150台程。そのひとつが小林宅にあります。いざ何かあったときに運び出し易いようにとたんすの下に大きな車が取り付けられているのが特徴。

昨夜は正月飾りがある客間で交流会がありました。大黒様が祭られ、この部屋は昔のままです。大母が休ませていただいたのは奥の間です。和香子さんと隣合わせの部屋です。

客間のガラス戸は積雪で半分が埋まっています。この雪が解けていくのを静かに待ち続ける雪国の生活。
 

研修会後の交流会です。きよこ母さんを先頭に女性陣たちが腕を振るってくださいました。

小林亮さんが若い頃、頻繁に出入りし議論していたという星寛治さんが交流会に来てくださいました。十数年振りの交流だったようです。お二人とも楽しそうでした。
 


 

おきたま興農舎は今回が初めての訪問です。会社を立ち上げたのは14年前。有機農産物の物流を確立しなければ、有機農業の存続は有り得ないとの思いが小林亮さんにはあったのではないでしょうか。エスコープとお付き合いを始めて4年ほどです。上和田の二宮隆一さんからのご紹介で出会いました。

おきたま地域で100名ほどの生産者の生産物を取り扱っています。会社としての詳細は分かりませんが有機農産物の生産そして物流の確立をと立ち上げていかれた小林亮さんの存在は大いに気になるところです。

次女・和香子さんが農民になると宣言されました。アジア学院で国際交流を学び、ボランティアで各地を回った末の決断です。

8日に開催された「一日研修会」で最後にお父様である亮さんから、「娘が農民になることになりました。農家に居候している新農民がひとり増えたということです。人は周囲の方々との関係で成長していきます。皆様、どうぞよろしくご指導ください」、と発言がありました。

研修会会場には3年前に亡くなった武田さんの写真が飾られています。その上に、一昨年高畠在中の女性に書いて頂いた宮沢賢治の歌の一節が飾られています。

亮さんの熱いまなざしの奥にある農業の基本がこの詩に凝縮されているのでしょう。

和香子さんが言っていました。おっとちゃんもかぁちゃもすご〜い人です。素晴らしい空間で触れ合ったおきたまの皆様。一見遊び人風な男たちが面白い! 今回の大母の印象です。

お風呂で新聞・雑誌を読む毎日というきよこさん。大母も同じ! 笑

またお邪魔しますね。小林亮の世界へ。ありがとうございました。
 


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