大母のレシピ
商品研究
孫の写真
 
 
 


  

韓国・一山(イルサン) 金芝河先生の書斎にて

2005年11月27
 



別れ際、大阪のみなさんに宜しくお伝えください、と手を振ってくださった金芝河・金玲珠ご夫妻
   

金芝河先生に初めてお会いしたのは2002年5月、原州で行われたチャン・インスル先生の命日に開催されている「生命運動・フォーラム」でした。

応接室で向き合う私たちに、女性が世界を変えることが出来る。女性に男性の役割を求めるのではなく、女性本来の良さをいかす事が大切です。日本、韓国、両国の間で歴史が捏造されてきた。韓国に対し、すまないと誤ることがよい日本人(事),日本に対し、問題指摘することが良い韓国人(事)という風潮がなぜあるのか、両国の歴史を知ることで原因を探さねばなりません。明治時代、奈良正倉院に隠してしまったものは何か。日本本来(よろずの神)の宗教の研究も必要です。極と極の調和に、日本と韓国の生協が話し合いながら始めなければなりません……。

金丙鎭先生の通訳された声を聞き逃すまいと必死に書きとめたノート。農業定着者を増やすために国際間ネットワークの必要性も話してくださいました。私たちが今取り組んでいる日常活動の課題が、既に、金芝河先生の構想の中にはありました。WTO体制がもたらす農業現場の崩壊を食い止めるには、自国内は当然のことですが国際間ネットワークが果たす役割がある。アジアの国々と交流を重ねてきたこの数年間の中で、その必要性を強く意識せざるを得なくなっています。

今回の韓国訪問最終日に、2004年7月堺市で開催した「金芝河講演会」で金芝河先生と印象的な出会いをされた山形県上和田・菊地卓大さんとともに、ソウル市郊外一山(イルサン)の金芝河先生のご自宅を訪問いたしました。
  


金芝河先生自ら読み上げられた「キクチ」の詩


金芝河先生の書斎
壁の一角に京都の弥勒半架(はんか)思惟像の写真が飾られています。
  


  

キクチ

堺の生協で
生命と平和の道の講演を行った
打ち上げで
みんなは講演が難しかったと言った

ひとり
34歳で有機農をしているキクチ
キクチが立ち上がって
自分は全部理解したと言ってのけた

ところがその彼が
夕食の時
自分の米を何年も流通してきた
オオウチという若者に

真顔で
「あなたは何をする人ですか?」と
深刻に訊ねた

それからというもの
蜂蜜を食った聾唖者だった

(何を言って言いのかわからない状態を言う韓国語の慣用句)

 おかしくて、みんな、おかしくて
 一晩中笑った

 たぶん、生命の農業というのは
 いたずらの農業なのだろうか
 人を笑わせる
 奇異なる能力なのだろうか

 別れる時、キクチ曰く
「講演、一言も忘れません」

私は手をギュッと握り
「農業をしながら、いつまでも哲学をしなさい」
そして一言また付け加え
「そうすればおそらく一生、人に笑いを与えられるでしょう」

キクチの顔が瞬間
京都のあの微笑する宝
弥勒半架(はんか)思惟像になった

「遊牧と隠遁(いんとん)p190より」/翻訳 金 丙鎭
   


おみやげに山形特産紅花で染められた小物をお渡しする菊地卓大さん
  

2004年7月11日/京都・宇治平等院にて
  

  
1 日目  11月23日(水) 

オドゥサン統一展望台ホァゴクボンドン生活共同体(売場見学)
うり農生協、交流会、復元された清渓川

2日目  11月24日(木)  景福初等学校給食見学申采浩 シン・チェホ先生記念館
清州・カトリック農民会・研修施設
3日目  11月25日(金)  朝のコドゥミ村、農村見学、キムチづくり見学、独立記念館
原州ハンサリム生協店舗三都生協施設、交流会
4日目  11月26日(土)  共同幼稚園キムチづくり原州生協店舗
テンジャン製造農事法人宿泊施設
5日目  11月27日(日)  原州生協交流金芝河さん宅訪問     帰国
  

      
  
 
Copyright 2001-2005, Allrights Reserved. 「大地の母」事務局 大阪府堺市 E-mail daichi-no-haha@nifty.com