3人は同じ時代を経験してきた同世代。大母たちよりもりっぱな日本語をお話されます。
他国である韓国を領地として支配してきた事実は歴史としてしっかりと認識しなければならないことです。その中で幼い子供達に教育として教えられていった日本語教育と神国日本思想。
韓国・日本を問わず、子供達は受け入れ大きくなっていきました。自我の目覚めの中で理不尽な教育であったことにいち早く気づいて行ったのは韓国の方々でしょう。そして、反抗日思想として憎しみの中で今日まで生きてこられたのです。
その中で、日本語を語り出すきっかけが私達との出会いからであったことを知った時の驚き。初めて訪問した際にも同様の経験していた大母は、帰国後もこの経験を語り続けました。
響き合う出会いがあれば、どこかでこだわりの壁を打ち破ることが出来るのではないかと・・・・・・・。
そして、誤った教育を受けてきた世代の日本人、つまり大母達の親の世代の方々に一刻も早く心の壁を打ち破っていただきたいと願いました。
大母の母親は、9月訪問した韓国民族資料館の見学を終えた直後に「私達が習わなかったことがあったのですねと」ぽつりと言いました。
国と国という関係では厳しい現実が存在していることは事実です。日本から正式な謝罪がされたことは無いというのが多くの人々の認識でした。経済支援を第一にしてきた日本への嫌悪感が、根強くあることも忘れてはならないことです。
その中で市民と市民の交流が果すことが出来る事は何なのか・・・・。市民の想いが重なって、国としての正式な謝罪を実現させることができないかと・・・・・。
色々な想いを巡らせる大母の前で、唱歌・歌謡曲を懐かしく思い出されていく3人のやりとりを拝見させていただいてました。
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