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2003-08-29

西大門刑務所歴史館訪問  2003.7.9

フランスの凱旋門を真似て作られたといわれている西大門。
大きな通りに面しています。


 

日本語で説明される年配の男性ガイドに案内され、まず見学したのは歴史館展示館。ガイドの方の説明を聞き、目の前の展示物を追っていくだけで精一杯。ガイドの方の厳しい視線に、立ち止まり、考える時間を持つことは出来ませんでした。
 

展示館から移動する際に、慰霊碑に向かって献花・黙祷する海軍兵士と小学校高学年の子供たちに出会いました。

ガイドの方に了解を頂き写真に収めました。

 

処刑場入り口にそびえ立つイチョウの大木。

一本の道を真っ直ぐ向かうと家族との面会場所。イチョの樹がある道へ曲がるとそこは処刑の場。運命の分れ道であった場所です。………ガイドの説明を聞きながらカメラに収めたイチョウの樹。

処刑場を出て、女性地下監獄舎に向かいます。この獄舎で亡くなった18歳の女性ユ・ガンスンさん。彼女を称え、彼女の出身地に建立されたのが独立記念館だったと記憶しています。

昨年11月に訪問した独立記念館は、新しい敷地と新しい建物の中に民族の誇りを取り戻していきたいと願う韓国国民の思いが随所に配置された展示だったと記憶しています。未来に向けて進む、進んでいけると思える場所でした。

西大門刑務所歴史館は1908年から実際に使われ、この場所で大勢の烈士が亡くなっていた重みを肌で感じた気持ちを表現するのはとても苦しい事です。

ガイドに誘われ体験した「壁棺」。帰国後に調べて分りました。死体を立て掛けておく棺であった事を。
 

処刑場から展示館横を通り、女性地下監獄舎に向かいます。ソウル独特の岩山の荒々しさが今までとは異なり、怒りに固まった重しのように見えてきました。

地下監獄舎を見つめる韓国の友人達の悲しそうな表情を忘れることはできないでしょう。
 
出口付近で記念写真を撮り、隣接した駐車場に向かいます。網走刑務所と同じ設計者による建物が立ち並ぶ敷地を振り返りました。伝染病・ハンセン病隔離病棟。隔離病棟の近くに洗濯するための水場がありました。

刑務所であっても生きていた人間の営みの跡が有りました。そして、死んでいった人間の跡、いいえ殺されていった人間の跡もたしかに有りました。その跡を打ち消そうとしている国、それが日本です。

むくげの花が韓国の国花であると知ったのは2年前の事でした。帰国後にお迎えした韓国原州の皆様に申し上げました。知らなかった……。

桜が日本の国花であることを韓国の人達は知っていますよと、返されてきた一言。
すいません。知ろうとしなかったのです。ごめんなさい。

7月15日生協施設2箇所に「むくげ」の苗を韓国の方々と記念植樹させて頂きました。樹が大きく育っ事を願っています。生活者として素直な気づきの機会が得られるようなきっかけとして、記念植樹したむくげの苗は大切な役割を担ってくれることでしょう。
 

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